五月一秀
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/05/08 01:08 UTC 版)
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本名 |
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生年月日 | 1951年3月6日(74歳) |
出身地 | ![]() |
師匠 | 五月一朗 |
名跡 | 1. 五月 秀若 (1973年 - 1975年) 2. 五月 一秀 (2012年 - ) |
活動期間 | 1973年 - 1975年、2012年 - |
活動内容 | 浪曲 |
所属 | 浪曲親友協会 |
五月 一秀(さつき いっしゅう、本名:敷田 秀治[1]、1951年3月6日[1] - )は、福岡県遠賀郡香月町(現北九州市八幡西区)[2] 出身の浪曲師。公益社団法人浪曲親友協会所属。定紋は『中陰花菱』。唯一の九州在住のプロ浪曲師である[2]。
経歴
1973年8月五月一朗に入門「五月 秀若」を名乗る。9月木馬亭で初高座、演目は「父帰る」。1975年7月から休業。師匠のもとを無断で去り、九州で会社員となっていた[3]。
2011年から大阪で素人として浪曲教室に通うが講師役の天中軒雲月 (5代目)に認められ、一朗門下だった過去を告白。雲月の仲立ちで約40年ぶりに一朗にわびを入れ、「五月 一秀」として浪曲界に復帰[3]。
2012年5月浪曲親友協会入会。一時は日本浪曲協会にも所属[1]。
脚注
出典
外部リンク
- 五月一秀 - 浪曲親友協会
- 五月一秀のページへのリンク