五度目の皇后擁立
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/21 22:42 UTC 版)
皇甫昌は楊篇と謀り、司馬越の命であると偽って金墉城から羊献容を出迎えると、その命を奉じて張方討伐と恵帝奪還を宣言した。これにより、司馬顒と抗争状態に入っていた養父の秦州刺史皇甫重の援護を目論んだ。事情を知らない百官はこの命に従ったが、偽りであることが判明すると皇甫昌を殺害した。 305年11月、立節将軍周権は司馬越からの命令と偽り、羊献容を擁立した。これにより羊献容は五度皇后に立てられた。だが、洛陽県令何喬は周権を殺害し、羊献容を廃立した。
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