五十志霊神社
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/01/27 01:34 UTC 版)
新発田市諏訪神社の境内にある。新発田藩が与茂七の冤罪を認め、供養するため建立した。享保4年(1719年)、明治28年(1895年)の大火が与茂七火事と称され、与茂七の怨霊に起因すると考えられたためで、その霊を祀ることによって、火伏せの神とされた。また境内には与茂七の石碑も建っている。
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