二子山古墳 (行田市)とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 二子山古墳 (行田市)の意味・解説 

二子山古墳 (行田市)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/02/10 04:11 UTC 版)

二子山古墳

墳丘全景
所属 埼玉古墳群
所在地 埼玉県行田市埼玉
位置 北緯36度7分34.54秒 東経139度28分44.61秒 / 北緯36.1262611度 東経139.4790583度 / 36.1262611; 139.4790583座標: 北緯36度7分34.54秒 東経139度28分44.61秒 / 北緯36.1262611度 東経139.4790583度 / 36.1262611; 139.4790583
形状 前方後円墳
規模 墳丘長132.2m
高さ13.7m
出土品 円筒埴輪須恵器
築造時期 6世紀前半
史跡 国の特別史跡「埼玉古墳群」に包含
特記事項 埼玉県第1位の規模
地図
二子山古墳
テンプレートを表示

二子山古墳(ふたごやまこふん)は、埼玉県行田市埼玉にある古墳。形状は前方後円墳埼玉古墳群を構成する古墳の1つ。国の特別史跡に指定されている(特別史跡「埼玉古墳群」のうち)。

埼玉県では最大規模の古墳で、6世紀前半の築造と推定される。

概要

出土品
埼玉県立歴史と民俗の博物館特別展時に撮影。

二つの山があるように見えることからこの名がある。

  • 墳丘長132.2メートル[1]
  • 後円部径67.0メートル・高さ11.7メートル
  • 前方部幅83.2メートル・高さ13.7メートル
  • 方形の二重周濠をもつ。現在の内堀は水をたたえているが、元々は空堀だったことがわかっている。
  • 西側くびれ部に造り出しがある。
  • 墳形は稲荷山古墳および鉄砲山古墳と同様大仙陵古墳に類似し、稲荷山古墳を1.15倍すると二子山古墳に重なる。

もと東側裾に観音寺があったところから「観音山」とも呼ばれる。 内部埋葬施設は不明であるが、周濠からは1メートルを越える円筒埴輪が、多数出土している。

古墳の造営年代は出土した埴輪須恵器の特徴から、6世紀の前半と考えられている。

浸食作用で墳丘外周の崩落が深刻化したため、内堀の水を抜いて埋め立てて「空堀」にする工事が進んでいる。

2023年1月27日、古墳の頂上部分に2カ所の穴が掘られる古墳破壊の被害を受けたことが判明した。穴の深さは最大で2メートルを超えるものもあった[2]

脚注

  1. ^ 埼玉古墳群紹介 - 埼玉県立さきたま史跡の博物館
  2. ^ 二子山古墳、2カ所に穴 石室狙いか 警備強化”. 毎日新聞地方版 (2023年1月28日). 2023年2月10日閲覧。

関連項目

外部リンク




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「二子山古墳 (行田市)」の関連用語

二子山古墳 (行田市)のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



二子山古墳 (行田市)のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの二子山古墳 (行田市) (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS