丹生島城、臼杵城の戦い
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/31 08:33 UTC 版)
武宮親實の臼杵城は、丹生島城ともいい、その名のとおり、草履型の丹生島にある城で干潮時にだけ対岸と陸続きとなる城だった(現在の臼杵市丹生島の公園は埋め立てられたものである。)。つまり、干潮時か水軍がないと攻められない城というわけである。家久軍は兵力で優勢だったが攻めようがなく、 また臼杵城は国崩と名づけたポルトガル伝来の大砲を使って家久軍を翻弄し大損害を与えた。家久は撤退を余儀なくされた。
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