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中野太三郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/07/21 05:29 UTC 版)

中野太三郎

中野 太三郎(なかの たさぶろう、1880年明治13年)12月 - 1941年昭和16年)11月10日[1])は、朝鮮総督府官僚実業家玄洋社[1]

経歴

福岡県出身。1899年福岡県中学修猷館[2]、1902年第五高等学校法科[3]を経て、1906年(明治39年)に東京帝国大学法科大学政治学科[4]を卒業。1908年(明治41年)に統監府属となり、翌年に高等文官試験に合格した。理事庁副理事官、朝鮮総督府事務官大邱府尹、平安南道第三部長、咸鏡北道知事咸鏡南道知事などを歴任した。

1929年(昭和4年)に退官した後は、東洋拓殖株式会社理事、朝鮮電気興業株式会社取締役、東洋産金株式会社取締役などを務めた。

親族

脚注

  1. ^ a b c 『玄洋社・封印された実像』資料④玄洋社社員名簿、49頁。
  2. ^ 『修猷館同窓会名簿 修猷館235年記念』(修猷館同窓会、2020年)同窓会員3頁
  3. ^ 『第五高等学校一覧(自昭和11年至昭和12年)』(第五高等学校編、1936年)198頁
  4. ^ 『東京帝国大学一覧(從大正7年至大正8年)』(東京帝国大学、1919年)學士及卒業生姓名120頁

参考文献

  • 人事興信所編『人事興信録 第12版(下)』人事興信所、1939年。 
  • 石瀧豊美『玄洋社・封印された実像』海鳥社、2010年。



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