中邑真輔の時代
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「IWGPインターコンチネンタル王座」の記事における「中邑真輔の時代」の解説
2012年7月12日、山形大会にて中邑真輔が3代目王者の後藤洋央紀を倒し4代目王者に君臨する。中邑は本王座のベルトのデザインを酷評し、新日本プロレスに対してベルトの作り直しを要求した(後述)。中邑は新たなベルトと共に王座の防衛を重ねていき、本王座は中邑のイメージが定着していった。2013年から2015年までの東京ドーム大会では本王座のタイトルマッチがIWGPヘビー級王座と共に「ダブルメインイベント」に設定され、特に2014年はIWGPヘビー級王座戦を退けて本王座が最終試合に設定された。 その後も本王座は中邑を中心として王座戦線が組まれていき、中邑のイメージがより定着していった。
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