中国政府批判と急死
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/02 07:28 UTC 版)
「パンチェン・ラマ10世」の記事における「中国政府批判と急死」の解説
1989年、公の場において「チベットは過去30年間、その発展のために記録した進歩よりも大きな代価を支払った。二度と繰り返してはならない一つの過ち」と自説を述べた。これは中華人民共和国政府の用意した演説原稿を無視した演説であった。その発言のわずか5日後、寝室で「心筋梗塞」で倒れ、約15時間後に死去したとされる。50歳没。チベット亡命政府は中華人民共和国政府に暗殺されたと主張しており、当時チベットに赴任していた胡錦濤や孟宏偉らが関わったとしている。パンチェン・ラマの葬儀はシガツェのタシルンポ寺を中心にチベットの全ての寺で執り行われた。その遺体は中華人民共和国政府の承認により、歴代パンチェン・ラマと同様にミイラ化され、タシルンポ寺の霊塔殿に安置されている。
※この「中国政府批判と急死」の解説は、「パンチェン・ラマ10世」の解説の一部です。
「中国政府批判と急死」を含む「パンチェン・ラマ10世」の記事については、「パンチェン・ラマ10世」の概要を参照ください。
- 中国政府批判と急死のページへのリンク