中国とエルサルバドルの関係 (中国語 : 中国-萨尔瓦多关系 )では、中国大陸にある政権(中華民国 ・中華人民共和国 の両方を含む)とエルサルバドル の外交関係を解説する。
エルサルバドルは長らく中華民国と国交を結んでいたが、2018年 8月21日 に中華人民共和国と国交を樹立し、中華民国と断交した[ 1] 。
歴史
第二次世界大戦以前
1933年 6月15日 、中華民国はグアテマラ に大使館を設立し、駐グアテマラ大使がエルサルバドル大使を兼任するようになる[ 2] 。同年10月7日に大使館が正式に開館された。
1934年にエルサルバドルが満洲国 を承認する(後述 )と、中華民国外務省は国際連盟 にエルサルバドルを制裁 するよう求めた[ 3] 。1941年には公使レベルでの交流関係となり、パナマ 大使との兼任に代わった[ 2] 。
満洲国との関係
エルサルバドルは満洲国 を日本 に次いで2番目に承認した国である、1935年にエルサルバドルで災害が発生すると、満洲国皇帝だった溥儀 は「内帑金」の名目で1万元を援助した。エルサルバドルは満洲国が諸外国に派遣していないことから、満洲国に代わって領事を募集することになった。1940年、王荊山(中国語版 ) を満洲国のエルサルバドル名誉領事にした。エルサルバドルは1941年12月の真珠湾攻撃 を経て日本に宣戦布告するが、1943年まで満洲国の承認を取り消さなかった[ 4] 。
第二次世界大戦・国共内戦後
1949年に中華人民共和国 が成立し、1950年にチャムドの戦い でチベットを併合すると、エルサルバドルは国際連合 にこのことを議題に含めるよう提案した。1961年6月1日には大使関係に昇格した。1971年のアルバニア決議では反対に回った。
1986年10月のエルサルバドル地震では中国紅十字会 が300万アメリカドルを支援した。
中華人民共和国との国交樹立
2018年 8月21日 に中華人民共和国と国交を樹立し、中華民国との国交を断絶した[ 1] 。これに対し中華民国外交部長の呉釗燮 は「卑鄙悪劣・完全錯誤」と発言した[ 5] 。
^ a b “中国と国交樹立 台湾と断交 ”. 毎日新聞 (2018年8月21日). 2018年8月26日閲覧。
^ a b “中華民國外交部86年外交年鑑 ”. 中華民國外交部 (1998年6月). 2013年6月4日時点のオリジナル よりアーカイブ。2017年12月16日閲覧。
^ “伪满洲国成立后溥仪曾想逃离东北 ”. 日本新华侨报网 (2016年5月30日). 2018年8月24日閲覧。
^ “萨尔瓦多外交风云:溥仪逃亡目标,台军留学首选 ”. 网易历史 (2018年8月23日). 2018年8月24日閲覧。
^ “台薩斷交!吳釗燮稱要錢 薩爾瓦多怒駁:台指控錯誤、卑鄙惡劣 ”. ETtoday新聞雲 (2018年8月22日). 2018年8月24日閲覧。