中古後期の唇音
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/06/05 16:46 UTC 版)
唐末・宋初に成立したと思われる韻図『韻鏡』によると、中国語の後期中古音(同時代の中古音)には既に重唇音と軽唇音の区別があった。重唇音とは「幇」[p]、「滂」[pʰ]、「並」[b]、「明」[m] 4母の両唇音で、軽唇音とは「非」[f]、「敷」[fʰ]、「奉」[v]、「微」[ɱ] 4母の唇歯音である。しかし清の銭大昕は自身の研究により『潜研堂文集』において、「凡今人所謂輕脣者,漢魏以前,皆讀重脣,知輕脣之非古矣」(今の人のいわゆる軽唇音は漢・魏以前は凡て重唇音であり、軽唇音の古からぬことを知る)と述べる。すなわち周代・漢代頃の中国語および漢字音の音韻体系(いわゆる上古音)には重唇音しか存在しなかったと論じている。更に銭は『十駕斎養新録』に「凡輕脣之音古讀皆為重脣」と強調している。
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