世田谷区の自宅について
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/11 14:39 UTC 版)
森進一と離婚した2年後の1986年、世田谷区岡本3丁目に150坪・床面積260平方メートル・3億円の豪邸を建て、68歳の母と一緒に暮らし始めた。この地に家を建てたのは、憧れの人物・高倉健の自宅に近かったからとのこと。子供の頃苦労して育ったため、働いて立派な家を建てることは長年の夢だったという。 仕事が少なくなったため住んでいた世田谷区の豪邸の維持費(固定資産税・年間89万円、光熱費・毎月数万円など)に苦しんだ大原は、貴金属を売って維持費をつくるようになった。 2009年3月頃、長年同居してきた介護が必要な91歳の母を介護施設に預け、一人暮らしを始めた。大原は自宅を売却してマンションへ引っ越すことを考えていたが、高額であるためなかなか買い手がみつからなかった。 大原が亡くなった後の2015年10月、弟が管理していた大原の豪邸が2億5千万円で売却された。高額であるため、大原の死後6年間買い手がなかった物件だった。売却された豪邸は2019年現在取り壊され、別の建物が建っている。
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