不可知論的有神論
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/08/31 00:28 UTC 版)
不可知論的有神論 ( ふかちろんてきゆうしんろん、英: Agnostic theism ) とは、「有神論[1]」と「不可知論[2]」の両方を含む哲学的立場である。不可知論的有神論者は、神または複数の神の存在を信じているが、その信念の根拠は現時点では不明であるか、そもそも原理的に知り得ないものと見なしている。また、信じている神の属性について不可知論的な立場を取る場合もある。
概要
不可知論的有神論には、信仰や啓示に知識の根拠を求める教義である「信仰主義 ( 英: fideism ) 」など、さまざまな信念が含まれる。ただし、すべての不可知論的有神論者がフィデイズムを採用しているわけではない[3]。
不可知論は、宗教的というよりも哲学的な意味において、神的存在に関する知識に対する認識論的立場であり、神または複数の神の存在を信じることを禁じるものではない。そのため、不可知論は無神論的立場とも有神論的立場とも両立しうると考えられている。
古典的な哲学における知識の理解は、「正当化された真なる信念 ( 英: justified true belief ) 」であるとされる。ロゴセラピーの創始者ヴィクトール・フランクルは、この定義を体現していたと考えられる。スタンリー・セイドナー ( 英: Stanley S. Seidner ) はこの例をさらに発展させ、フランクルによる「無意識」の捉え方を強調している[4]。
キリスト教的不可知論者は、キリスト教の神の属性にのみ適用される独自の不可知論の形を実践している。彼らは、キリスト教信仰の基本的教義を超えた事柄について確信を持つことは困難、あるいは不可能であると考えている。彼らはキリスト教の神の存在を信じ、イエスが神と特別な関係を持ち、何らかの形で神性を有していると信じており、神は礼拝されうる存在であると考えている。この信仰体系は、ユダヤ教およびキリスト教初期の時代に深い根を持っている[5]。
脚注
- ^ 哲学事典 1971, p. 1419.
- ^ 大森 1998, p. 1366.
- ^ Piers, 1992 & 171–188.
- ^ Seidner 2009.
- ^ Leslie 1972.
参考文献
- Weatherhead, Leslie (1972). The Christian Agnostic. Abingdon Press. ISBN 978-0-687-06977-4
- Benn, Piers (1999-12). Hall, Ronald L.. ed. “Some Uncertainties about Agnosticism”. International Journal for Philosophy of Religion (ベルリン and ニューヨーク市: シュプリンガー・サイエンス・アンド・ビジネス・メディア) 46 (3): 171–188. doi:10.1023/A:1003792325966.
- Seidner, Stanley S. (2009年6月10日). “A Trojan Horse: Logotherapeutic Transcendence and its Secular Implications for Theology”. Mater Dei Institute. 2011年5月1日時点のオリジナルよりアーカイブ。2025年8月31日閲覧。
- 青井和夫; 青柳真知子; 赤司道夫; 秋間実; 秋元寿恵夫; 秋山邦晴; 秋田光輝; 東洋; 阿部公正 著「有神論」、林達夫; 野田又夫; 久野収; 山崎正一 編『哲学事典』(第1版)平凡社、日本、1971年、1419頁。 ISBN 4-582-10001-5。
- 大森正樹 著「不可知論」、廣松渉; 子安宣邦; 三島憲一; 宮本久雄 編『岩波 哲学・思想辞典』(第1版)岩波書店、日本、1998年、1366頁。 ISBN 4-00-080089-2。
関連項目
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