不信任決議賛成から自民党離党
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/07 01:08 UTC 版)
「船田元」の記事における「不信任決議賛成から自民党離党」の解説
宮澤改造内閣成立の直後、羽田孜、小沢一郎らが改革フォーラム21(羽田派)を結成。1993年6月、宮澤内閣不信任決議案が国会に提出され羽田派は賛成投票を決定する。そのため、宮澤改造内閣の閣僚だった船田、中島衛科学技術庁長官の2人は辞表を提出し、閣僚を辞任した上で宮澤内閣不信任決議案に賛成票を投じた。結果、宮澤内閣不信任決議案は可決され、宮澤首相は衆議院を解散した。その後羽田派は自民党を集団離党し、新生党を結党。船田も新生党公認で第40回衆議院議員総選挙に出馬し、当選した。新生党では国会対策委員長に相当する政務幹事に就任し、新生党代表幹事の小沢一郎を補佐する。
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