下波佐見村とは? わかりやすく解説

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下波佐見村

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/05/12 14:29 UTC 版)

しもはさみむら
下波佐見村
廃止日 1956年6月1日
廃止理由 新設合併
上波佐見町下波佐見村波佐見町
現在の自治体 波佐見町
廃止時点のデータ
日本
地方 九州地方
都道府県 長崎県
東彼杵郡
市町村コード なし(導入前に廃止)
総人口 5,444
国勢調査、1955年)
隣接自治体 佐世保市、東彼杵郡上波佐見町川棚町宮村
下波佐見村役場
所在地 長崎県東彼杵郡下波佐見村長野郷218番地
座標 北緯33度07分13秒 東経129度52分24秒 / 北緯33.12017度 東経129.87339度 / 33.12017; 129.87339座標: 北緯33度07分13秒 東経129度52分24秒 / 北緯33.12017度 東経129.87339度 / 33.12017; 129.87339
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下波佐見村(しもはさみむら)は、長崎県東彼杵郡北部の内陸部にあった村。1956年(昭和31年)に北東隣[1]上波佐見町と合併し、波佐見町となった。

現在の波佐見町の南西部にあたる。

地理

  • 山:二ツ岳、鴻ノ巣山、大平岳
  • 河川:川棚川、皿山川

沿革

江戸時代は上波佐見村とあわせて波佐見村と称された。村域が広大なため、川棚川の上手を上波佐見、下手を下波佐見の2村に分けたとされる。この分村は旧大村藩領内に限ったものであったが、明治3年12月の藩制改革により正式に分村された[2]

  • 1889年(明治22年)
    • 4月1日 - 町村制施行により、東彼杵郡下波佐見村が単独村制にて発足。
    • 月日不詳 - 川棚村(現・川棚町)五反田郷のうち、字梅高野を岳辺田郷に編入。
  • 1932年(昭和7年) - 村役場を岳辺田郷から長野郷へ移転。
  • 1956年(昭和31年)6月1日 - 上波佐見町と合併して波佐見町が発足し、下波佐見村は自治体として消滅。

地名

を行政区域とする。下波佐見村は1889年の町村制施行時に単独で自治体として発足したため、大字は無し。

  • 川内郷
  • 皿山郷
  • 志折郷
  • 岳辺田郷
  • 田ノ頭郷(たのかしら)
  • 長野郷[3]
  • 中山郷[4]
  • 稗木場郷(ひえこば)

産業

農業および江戸時代より続く窯業を主な産業とする。

名所・旧跡

  • 岳ノ山古城
  • 狼煙場址(平瀬郷)

下波佐見村出身の著名人

脚注

  1. ^ 市町村変遷パラパラ地図 完全版 長崎県 1955年4月15日
  2. ^ 角川日本地名大辞典 42 長崎県「波佐見村(近世)」
  3. ^ 村内における行政上の地区は甲長野郷、乙長野郷、協和郷(1954年までは丙長野郷)の3郷に分かれる。
  4. ^ 波佐見町となった後の1960年(昭和35年)に一部が隣接する川棚町に編入された。この頃より川棚町の中山郷と区別するため、通称を平野郷としている。

参考文献

関連項目




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