上杉定実
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/03 06:42 UTC 版)
上杉 定実(うえすぎ さだざね)は、戦国時代の守護大名。越後国守護。越後上杉家8代(最後の)当主。上杉房能の従弟で、養子とされるが確証はない[要出典]。上杉謙信(初名:長尾景虎)は義理の甥にあたる。
注釈
- ^ 「山吉家伝記之写」では上杉掃部守定俊が定実の実父であるとしている。森田真一は、山吉家や「上杉家文書」に残る定俊の発給文書より、定俊は蒲原郡を本拠地とする上条上杉家の庶流と推定している[2]。
- ^ 仙台藩の史料では定実を積翠院の父とするが、積翠院が長男・稙宗を産んだのは長享2年(1488年)であり、年代的には全く整合性がとれない。このため実際には、積翠院は定実の実姉(15歳以上年長か)と考えられている[3]。
- ^ 「長尾系譜」「上杉系図并長尾系図」(米沢市立中央図書館蔵上杉文書)では為景の娘の一人が定実夫人とされ、検討が必要とされている[4]。
- ^ 「日本随筆大成」に所収されている江戸時代中期の神沢杜口の随筆「翁草」には、定実が為景の姉妹を娶った際に、為景の嫡子・六郎(のちの晴景か)を猶子とする約定を取り交わした書かれているが、同時代史料では確認できない[要出典]。
- ^ 豊田武編 1965には長尾晴景の妻は定実の娘と書かれているが、出典不明であり史料で確認できない[要出典]。
出典
- ^ a b c 池 & 矢田 2007, p. 81.
- ^ 森田真一 2001, pp. 1–27.
- ^ 長谷川伸 1995, pp. 5–23.
- ^ 前嶋敏 2008, pp. 807–819.
- ^ 池 & 矢田 2007, p. 17.
- ^ 池 & 矢田 2007, p. 19.
- ^ 池 & 矢田 2007, p. 21.
- ^ 池 & 矢田 2007, p. 22.
- ^ 池 & 矢田 2007, p. 23.
- ^ 池 & 矢田 2007, p. 24.
- ^ 池 & 矢田 2007, pp. 32–34.
- ^ 池 & 矢田 2007, pp. 56–61.
- ^ 池 & 矢田 2007, p. 61.
- ^ 池 & 矢田 2007, p. 64.
- ^ 池 & 矢田 2007, pp. 64–72.
- ^ a b 池 & 矢田 2007, p. 72.
- ^ 池 & 矢田 2007, p. 73.
- ^ 池 & 矢田 2007, pp. 76–78.
- ^ 池 & 矢田 2007, p. 79.
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