三遊亭朝三とは? わかりやすく解説

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三遊亭朝三

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/08/23 06:01 UTC 版)

三遊亭 朝三(さんゆうてい ちょうざ)は、落語家名跡


三遊亭 さんゆうてい 朝三 ちょうざ

三遊亭圓朝一門定紋「高崎扇」
本名 小宮 信男
生年月日 1951年2月18日
没年月日 (1984-05-23) 1984年5月23日(33歳没)
出身地 日本東京都足立区
師匠 三代目三遊亭圓之助
名跡 1.三遊亭圓吉
(1980年 - 1983年)
2.三遊亭朝三
(1983年 - 1984年)
活動期間 1980年 - 1984年
活動内容 落語家
所属 落語協会

三遊亭 朝三(さんゆうてい ちょうざ、1951年2月18日 - 1984年5月23日)は、落語家。本名は小宮 信男

来歴

日本大学文理学部中退後、サラリーマン生活を続けていた。落語家になる前は眼鏡のセールスをしており、約百万円の貯金を蓄える。

1980年三代目三遊亭圓之助に入門。前座名は圓吉。しかし、その3か月後に師匠の圓之助が脳溢血で倒れ、修業と並行して師匠の身の回りの世話にも努め、両立させた[1]

1983年春、三遊亭吉窓金原亭駒之助柳家小満女古今亭菊正と共にと共に二ツ目に昇進、朝三に改名する。

1984年5月23日午後、東京都足立区梅田5丁目の区道交差点で、自転車で道路を横断しようとしていたところ、走行してきたトラックに撥ねられ、頭部を強打し死亡した[1]。33歳没。同年6月から鈴本演芸場を皮切りに、二ツ目昇進披露となる高座を目前に控える矢先での事故死となった[注釈 1][1]。葬儀は古今亭朝次三遊亭楽太郎らも参列し、噺家らしくたいへん賑やかなものであったという。

経歴

人物

  • 力仕事が得意。
  • 神輿が好きでお神輿連の総長を務めていた。

脚注

注釈

  1. ^ 同年1月には上方の落語家でほぼ同年代であった四代目林家小染(36歳没)がトラックに撥ねられて、事故死している。

出典

  1. ^ a b c 弘文出版『落語』1984年第21号 P108より。



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