三笑亭可楽 (9代目)
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9代目 三笑亭 可楽 | |
本名 |
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生年月日 | 1936年7月21日(89歳) |
出身地 | ![]() |
師匠 | 8代目三笑亭可楽 三笑亭夢楽 |
弟子 | 三笑亭可龍 三笑亭可風 |
名跡 | 1. 三笑亭
(1955年 - 1958年) 2. 三笑亭 (1958年 - 1969年) 3. 初代 (1969年 - 1992年) 4. 9代目三笑亭可楽 (1992年 - ) |
出囃子 | 勧進帳 |
活動期間 | 1955年 - |
所属 | 日本芸術協会 →落語芸術協会 |
9代目 三笑亭 可楽(さんしょうてい からく、1936年〈昭和11年〉7月21日 - )は、茨城県鹿嶋市出身の落語家。落語芸術協会所属。本名∶石上 吉男。出囃子∶『勧進帳』。
経歴
茨城県立鹿島高等学校を卒業した[1]。
1955年5月、8代目三笑亭可楽に入門、前座名「可津男」を名乗る。1958年9月、三遊亭とん馬とともに二ツ目昇進し「可勇」と改名。
1964年8月に師匠の8代目可楽が死去し、10月に兄弟子三笑亭夢楽門下に移籍した。
1969年9月、8代目都家歌六とともに真打昇進し「浮世亭写楽」に改名。1992年9月、9代目となる「三笑亭可楽」を襲名。1995年より落語芸術協会監事を務めた。
人物
趣味のハワイアン、フルートは協会員バンドの「アロハマンダラーズ」にも活かされている。
近眼で目が悪く、弟子の三笑亭可風に手を引かれ介助されるシーンもある。
8代目春風亭小柳枝と呑んでいたとき、酔った小柳枝に突如殴られた。頭にきた可楽(当時∶写楽)は近くにあった衣紋掛けで殴り返したら小柳枝が流血した。
主な演目
※演題の二重カギ括弧は省略。
一門弟子
脚注
注釈
出典
- ^ 『読売年鑑 2016年版』読売新聞東京本社、2016年、p.544
外部リンク
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