一色範視とは? わかりやすく解説

一色範視

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/12 21:58 UTC 版)

 
一色範視
時代 江戸時代
生誕 慶長14年(1609年
死没 慶安3年10月17日1650年11月10日
改名 範次→範視
別名 範親(『寛政重修諸家譜』)、通称:右馬助
幕府 江戸幕府旗本
主君 徳川家光
氏族 一色氏(式部一色家)
父母 父:一色範勝
兄弟 範視、範尚(左近)、範規、大橋重政室
正室:榊原照久
後室:片桐貞隆
(『断家譜』) 則重(又十郎、元禄15年死去)、根岸直利室
(『寛政重修諸家譜』)片桐之晴片桐貞晴養子)、榊原範武(榊原久通[1]養子)、榊原照清養女、
三宅康永室、野田勝成室、根岸直利室
養子:範風
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一色 範視(いっしき のりみ)は、江戸時代旗本式部一色家当主。石高2000石。

寛永諸家系図伝』では改名前の「範次」で記載されるが、『断家譜』より「範視」と後に改名したことが分かる。『寛政重修諸家譜』では範親。実子は諸説あり、『断家譜』では1男1女であるが、『寛政重修諸家譜』では2男3女となっている。

元和8年(1622年)に徳川家光に拝謁した後、書院番士となる。寛永10年(1633年)、父・一色範勝の死去に伴い家督を継承する。慶安3年(1650年)、42歳で死去した。

家督は義弟で養子の範風(範供)が継承した。

参考文献

  • 『寛永諸家系図伝 第二』 1980年 続群書類従完成会
  • 『断家譜 第一』 1968年 続群書類従完成会
  • 『新訂寛政重修諸家譜 第二』 1964年 続群書類従完成会

脚注

  1. ^ 交代寄合榊原照久の子。幕臣3百俵。




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