一人の学生の死
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/07/26 05:07 UTC 版)
「ジャナ・アンドラン」の記事における「一人の学生の死」の解説
こうして行き詰まりを見せていた民主化運動は、一人の学生の死を転機として急展開する。3月27日、東ネパール、ジャパ郡のバドラプルにあるメチ・キャンパスで学生たちが「パンチャーヤト制打倒」と書いた黄色い布を燃やす抗議行動を行った。このとき、何人かのパンチャーヤト制支持の学生が妨害に入り、乱闘となった。その際、一人の学生がパンチャーヤト支持派の学生にククリ(ネパール・ナイフ)で刺され、死亡した。 このことを契機に、カトマンズ盆地の大学、高校に「反パンチャーヤト制運動」が広がり、キャンパスでは日常的に学生と警官隊が衝突する事態が発生した。3月28日にはカトマンズ盆地のすべての病院で救急医療を除く時限ストが実施された。
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