ヴァージル・メイシー・ウィリアムズとは? わかりやすく解説

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ヴァージル・メイシー・ウィリアムズ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/03/28 00:33 UTC 版)

ヴァージル・メイシー・ウィリアムズ
Virgil Macey Williams
Charles Joseph Carlson による肖像画
生誕 (1830-10-29) 1830年10月29日
アメリカ合衆国、ディクスフィールド(Dixfield)
死没 1886年12月18日(1886-12-18)(56歳没)
アメリカ合衆国、セント・ヘレナ(St. Helena)
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ヴァージル・メイシー・ウィリアムズ(Virgil Macey Williams、1830年10月29日 - 1886年12月18日)は、アメリカ合衆国の画家、美術教師である。ヨーロッパで修行した後、サンフランシスコの美術学校で美術教師として働いた[1][2][3]

略歴

メイン州オックスフォード郡のディクスフィールド(Dixfield)の旧家に生まれた。ニューヨークのブラウン大学で画家のダニエル・ハンティントン(1816-1906)に学んだ後、1853年から1860年の間はヨーロッパに渡り、パリローマで修行した。イタリアで活動していたアメリカ人画家、ウィリアム・ページ(1811-1885)らに学び、ページの娘と結婚した。1860年に帰国した後はボストンで働き、ハーバード大学マサチューセッツ工科大学で美術を教えた。

1862年にカルフォルニアに招かれ、サンタバーバラの美術学校で教えた。1871年にワンデスフォルデ(Juan Buckingham Wandesforde: 1817–1902)らとサンフランシスコ芸術協会(San Francisco Art Association)の設立メンバーになり[4] 、初代会長になり、協会の美術学校であるカルフォルニア絵画学校(California School of Design)の校長になり、亡くなるまでその仕事を続けた。この美術学校は、後にSan Francisco Art Instituteとなった[1]

画家としてはおもに風景画を描いた。

1886年にカリフォルニア州ナパ郡のセント・ヘレナ(St. Helena)で亡くなった。ウィリアムズが教えた学生には Harry Stuart Fonda[5] やJohn Marshall Gamble[6]らがいる。

作品

参考文献

  1. ^ a b Post, Ruth N. (June 1987). “The California Years of Virgil Macey Williams”. California History 66 (2): 114–129. doi:10.2307/25591535. JSTOR 25591535. 
  2. ^ “Death of Virgil Williams”. Los Angeles Herald: p. 1. (1886年12月19日). https://www.newspapers.com/image/41094322/?terms=%22Virgil%2BWilliams%22 2019年12月2日閲覧。 
  3. ^ “An Artist Gone.”. The San Francisco Examiner: p. 6. (1889年12月19日). https://www.newspapers.com/image/457962865/?terms=%22Virgil%2BWilliams%22 2019年12月2日閲覧。 
  4. ^ Lekisch, Barbara (2003). Embracing Scenes about Lakes Tahoe & Donner: Painters, Illustrators & Sketch Artists 1855-1915. Lafayette, California: Great West Books. p. 35. ISBN 9780944220146. OCLC 1001900414. https://books.google.com/books?id=fzOs0pXNXJ4C&q=San+Francisco+Art+Institute+Juan+B.+Wandesforde&pg=PA35 
  5. ^ Shields, Scott A. (2006-04-17) (英語). Artists at Continent's End: The Monterey Peninsula Art Colony, 1875-1907. University of California Press. pp. 223. ISBN 978-0-520-24739-0. https://books.google.com/books?id=Rs-IDwAAQBAJ 
  6. ^ “Local artist is praised by critics”. The Independent: pp. 3. (1911年2月13日). https://www.newspapers.com/clip/69895049/the-independent/ 2021年2月12日閲覧。 



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