ワルドー派の記憶
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/12/09 06:10 UTC 版)
「グアルディア・ピエモンテーゼ」の記事における「ワルドー派の記憶」の解説
この町の正門 Porta del Sangue(血の門)の名は、1561年の虐殺を記憶するもので、町内で殺戮された人々の血がすべてこの門から流れ出たとされることから名づけられた。この門の隣には今日 Centro di Cultura Giovan Luigi Pascale と名づけられた文化センターがあり、グアルディアのワルドー派の歴史に関する常設展示も行っている 。 現在の Piazza Chiesa Valdese(ワルドー教会広場)は、かつて破壊されたワルドー派教会のあった場所である。1975年、グアルディアの姉妹都市であるトッレ・ペッリチェから、ピエモンテの岩がちな山岳地帯から逃れたグアルディア人の子孫を記憶するために「ヴァル・ペッリーチェの岩」Roccia di Val Pellice が贈られ、ワルドー教会広場に設置された。1561年の虐殺の中の犠牲者のうち、名前が知られている118人の犠牲者の名前が、岩にはめ込まれた銘板に刻まれている。
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