ル・トレヴーとは? わかりやすく解説

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ル・トレヴー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/05/29 08:15 UTC 版)

Le Trévoux

行政
フランス
地域圏 (Région) ブルターニュ地域圏
(département) フィニステール県
(arrondissement) カンペール郡
小郡 (canton) バンナレック小郡
INSEEコード 29300
郵便番号 29380
市長任期 アンドレ・フラヴァル
2008年 - 2014年
自治体間連合 (fr) fr:Communauté de communes du pays de Quimperlé
人口動態
人口 1500人
2010年
人口密度 72人/km²
住民の呼称 Trévoltois
地理
座標 北緯47度53分42秒 西経3度38分29秒 / 北緯47.895111度 西経3.641281度 / 47.895111; -3.641281座標: 北緯47度53分42秒 西経3度38分29秒 / 北緯47.895111度 西経3.641281度 / 47.895111; -3.641281
標高 平均:82m
最低:47 m
最高:105 m
面積 20.83km²
Le Trévoux
公式サイト Site de la commune
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ル・トレヴーLe Trévouxブルトン語:An Treoù-Kerne)は、フランスブルターニュ地域圏フィニステール県コミューン

歴史

カッシーニ地図に描かれたトレヴー。Trévonと表記されている

12世紀、トレヴー教区(Treuuou)について言及されている。トレヴーは旧バンナレック教区を分割したか、旧リエック=シュル=ベロン教区を分割したかして誕生した。トレヴーとの境にあるバンナレックの集落は、Kerantrévouxの名だった。トレヴー教区はかつてのコルヌアイユ司教区に属していた[1]。時を経るごとに地名は変わった。Plebs Treuuou(1161年)、Trevou(1220年)、Treffou(1426年と1535年)、そしてTrévon(1783年のカッシーニ地図にて)である。19世紀から20世紀にかけて、コミューンはメラックとともに鉄道駅があったが、現在はどちらも廃止されている。

年表

  • 1161年 - 初めてトレヴーについて言及される。カンペルレのサント・クロワ修道院の公文書中で、トレヴーの集落について記載がなされた[2]
  • 1500年代 - バンナレックの小教区からトレヴー教区に昇格。教会が建設され、後に拡張工事が行われた[2]
  • 1600年代 - ユグノー戦争に巻き込まれ、カトリックと新教の両派によって町は荒らされた。住民は土地を捨てて逃げ、耕作地は5年もの間放置された[2]
  • 1789年 - 第三身分陳情書(fr)に、教区で政治を行う人々が署名した。
  • 1791年 - リエック・シュル・ベロンより、ラニスカールを含む9つの集落が割譲される[2]
  • 1914年から1918年 - トレヴー出身の74人の男性が第一次世界大戦で戦死した。

人口統計

1962年 1968年 1975年 1982年 1990年 1999年 2006年 2010年
1106 1023 879 925 983 1138 1368 1500

参照元:1999年までEHESS[3]、2000年以降INSEE[4][5]

ギャラリー

脚注




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