リサ・フェルナンデスとは? わかりやすく解説

リサ・フェルナンデス

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/01/08 02:24 UTC 版)

獲得メダル

リサ・フェルナンデス
 アメリカ合衆国
女子 ソフトボール
オリンピック
1996 アトランタ
2000 シドニー
2004 アテネ

リサ・フェルナンデスLisa Fernandez1971年2月22日 - )は、アメリカ合衆国ニューヨーク州ニューヨーク出身の女子ソフトボール選手(投手)。キューバ系プエルトリコ人。

オリンピックにおいて1試合25奪三振のオリンピック記録を持っていることで知られている。三塁を守ることもあり、本人も打撃が好きであると語っている[1]

経歴

野球選手であった彼女の父は、キューバからニューヨークへと移住して、そこでプエルトリコから移住してきたリサの母と出会った。リサの母は箒のような棒とゴムボールを使って行う路上スポーツ、スティックボールをリサの兄たちとやっており、彼女も野球へと興味をもった。彼女は8歳の時に野球をはじめ12歳のときには地元のリーグのチームに所属し、ピッチャーをしていたもののそのチームのコーチから男の子たちには体の大きさもあってかなわないといわれた。

1986年に彼女と家族はカリフォルニア州レイクウッドへと引っ越し、セントジョセフ高校へと通うことになる。そこの高校で彼女はソフトボールうへと所属し、部をCIFチャンピオンシップへと導くことになる。高校卒業後はカリフォルニア大学ロサンゼルス校UCLAブルーインズ英語版)に入学し、心理学を学ぶとともにソフトボールをした。1994年には女子大学ワールドシリーズチャンピオンシップへ出場し、彼女にソフトボール女子アメリカ代表に入ることになる.

その後はアメリカを代表するエースとして活躍し1996年アトランタオリンピック2000年シドニーオリンピック2004年アテネオリンピックで金メダルを獲得した。シドニーオリンピックのオーストラリア戦ではオリンピック記録となる25奪三振や、アテネオリンピックでは5番打者として首位打者のタイトルを獲得した。2008年北京オリンピックでは2005年に出産して一時代表から遠ざかっていたことや、キャット・オスターマンモニカ・アボットジェニー・フィンチなどの若手の活躍もあり、代表に選ばれることはなかった。

1998年-1999年は日本リーグトヨタ自動車でプレーし、2シーズン通算で17勝6敗・防御率0.08・奪三振285、完全試合1回・ノーヒットノーラン5回、シーズン防御率0.00(1998年)、74 2/3イニング連続無失点などの記録を残した[2][3]

2001年4月24日に、レイクウッドの市議会は彼女を優れたスポーツ選手であることをたたえて、彼女をレイクウッドスポーツ殿堂入りに選び、同市内のメイフェア公園の野球場に彼女の名前をつけた。

現在はカリフォルニア州のロングビーチに住みカリフォルニア大学ロサンゼルス校の女子ソフトボールチームの副コーチを務めている。

詳細情報

[4]

脚注

外部リンク





固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「リサ・フェルナンデス」の関連用語

リサ・フェルナンデスのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



リサ・フェルナンデスのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのリサ・フェルナンデス (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS