ラザール・ポンティセリ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/09/03 04:18 UTC 版)
ラザール・ポンティセリ Lazare Ponticelli |
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ラザール・ポンティセリ(中央 2006年撮影)
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生誕 | 1897年12月7日![]() |
死没 | 2008年3月12日(110歳没)![]() |
所属組織 | フランス陸軍 イタリア陸軍 |
軍歴 | 1914 - 1915(フランス陸軍) 1915 - 1918(イタリア陸軍) |
ラザール・ポンティセリ(Lazare Ponticelli, 1897年12月7日 - 2008年3月12日)は、フランス陸軍およびイタリア陸軍の元兵士。第一次世界大戦に従軍したフランス軍兵士で、最後に亡くなった人物。
経歴
北イタリア・ベットラに生まれた。6歳で父親と兄が亡くなり、近隣の家庭に預けられることとなった。9歳でフランス在住の兄を頼りパリに移住、新聞の売り子などを行った。1914年8月に年齢を偽り、フランス陸軍外人部隊に志願した[1]。フランス北東部で任務に就いている。
1915年にイタリアが連合国側で参戦すると、イタリア陸軍への入隊を命ぜられた。彼は拒否したが、憲兵の護衛付きでイタリアへ送られた。イタリア陸軍では機関銃手としてオーストリア=ハンガリー軍と対峙した。イタリアでは砲弾により負傷を経験している。また、毒ガス攻撃も受けた。
第一次世界大戦後はフランスに戻り、1920年にパリに金属加工会社を起こしている。第二次世界大戦中はレジスタンスとして活動した。
晩年は娘とともに暮らしていた。第一次世界大戦に参加した数少ない存命者となってからは、フランス政府から、死去の際は国葬にしたいとの打診を受けていたが、当初は固辞していた[1]。後に"第一次世界大戦に参加し死去した全ての男女の名において"ならば国葬を受け入れるとした[1]。
2008年3月12日に死去。国葬は3月17日にオテル・デ・ザンヴァリッドで行われた。棺はフランス外人部隊の手によって運ばれた。葬儀後、パリの市民墓地に埋葬されている。
脚注
固有名詞の分類
フランスの軍人 |
アルフレド・ドレフュス フランソワ・ブッフィエ ラザール・ポンティセリ アルテュール・フォルタン ジャン・マルラン |
イタリアの軍人 |
イータロ・ガリボルディ ラザール・ポンティセリ ウバルド・ソッドゥ ウンベルト2世 トンマーゾ・アルベルト・ディ・サヴォイア=ジェノヴァ |
第一次世界大戦期フランスの軍人 |
ラザール・ポンティセリ アンドレ=ルイ・コレスキー シャルル・ドゥレストラン ジョゼフ・ジョフル ロベール・ニヴェル |
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