ラグラーヴ
ラグラーヴ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/05/06 03:26 UTC 版)
ナビゲーションに移動 検索に移動Lagrave | |
---|---|
行政 | |
国 | フランス |
地域圏 (Région) | オクシタニー地域圏 |
県 (département) | タルヌ県 |
郡 (arrondissement) | アルビ郡 |
小郡 (canton) | ドゥー・リヴ小郡 |
INSEEコード | 81131 |
郵便番号 | 81150 |
市長(任期) | マックス・ムリス (2014年-2020年) |
自治体間連合 (fr) | fr:Communauté d'agglomération du Rabastinois - Tarn et Dadou - Vère Grésigne et Pays Salvagnacois |
人口動態 | |
人口 | 2075人 (2014年) |
人口密度 | 219人/km2 |
住民の呼称 | Lagravois |
地理 | |
座標 | 北緯43度53分55秒 東経1度59分35秒 / 北緯43.8986111111度 東経1.99305555556度座標: 北緯43度53分55秒 東経1度59分35秒 / 北緯43.8986111111度 東経1.99305555556度 |
標高 | 平均:155m 最低:135 m 最高:205m |
面積 | 9.46km2 |
公式サイト | http://www.lagrave.fr/ site officiel |
ラグラーヴ (Lagrave)は、フランス、オクシタニー地域圏、タルヌ県のコミューン。
地理
アルビ都市圏に含まれ、アルビとガヤックの中間に位置し、ラ・ソドロンヌ川と合流するタルヌ川左岸に面している。ラグラーヴは、タルヌ川有数の段丘である砂礫地盤の上にある。
由来
ラグラーヴはその土壌によって名づけられた。砂(sable)と砂礫(gravier)である。
歴史
太古の時代から、村落の平地を囲む段丘は、人の定住を経験してきた。
紀元前1世紀、ユリウス・カエサルはタルヌ川流域の地方を征服した。ローマによる占領は5世紀続き、ローマの法律と言語を課した。ラグラーヴにおけるローマの存在は、ローマ皇帝クラウディウス、ティトゥス、トラヤヌス、セプティミウス・セヴェルス、そしてアウグストゥス時代に鋳造されたメダルや硬貨によって立証されている[1]。
人口統計
1962年 | 1968年 | 1975年 | 1982年 | 1990年 | 1999年 | 2008年 | 2014年 |
---|---|---|---|---|---|---|---|
561 | 618 | 630 | 816 | 940 | 1264 | 1774 | 2075 |
参照元:1962年から1999年までは複数コミューンに住所登録をする者の重複分を除いたもの。それ以降は当該コミューンの人口統計によるもの。1999年までEHESS/Cassini[2]、2006年以降INSEE[3][4]。
脚注
- ^ Ndiaye, Zitter, Pezous, Dupeux-Maire, « Lagrave, découverte », sur www.lagrave.fr (consulté le 16 janvier 2017)
- ^ http://cassini.ehess.fr/cassini/fr/html/fiche.php?select_resultat=16090
- ^ https://www.insee.fr/fr/statistiques/2534314?geo=COM-81131
- ^ http://www.insee.fr
- ラグラーヴのページへのリンク