ヨハン・バルタザール・ノイマンとは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > ヨハン・バルタザール・ノイマンの意味・解説 

バルタザール・ノイマン

(ヨハン・バルタザール・ノイマン から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/01/08 04:21 UTC 版)

旧50ドイツマルク
バルタザール・ノイマンの代表作、ヴュルツブルクのレジデンツ(世界遺産

ヨハン・バルタザール・ノイマンJohann Balthasar Neumann1687年1月30日(推測)ヘプ(チェコ)- 1753年8月19日(?)ヴュルツブルク)は、バロックおよびロココ建築家。通常はバルタザール・ノイマンと呼ばれる。

生涯

ノイマンは1711年にヴュルツブルクの砲兵部隊に所属したが、司教ヨハン・フィリップ・フランツ・フォン・シェーンボルンの援助でイタリアフランケン地方さらにはオランダで建築の腕を振るうこととなった。

ノイマンは、バロックおよびロココの最も重要な建築家の一人であると考えられている。彼によって、南ドイツの建築物は、あるいはドイツ・カトリックのバロック建築はその頂点を築いたのである。その本領は、特に階段室礼拝堂といった巨大なインテリアの創作に発揮されている。

ミュンヘンヨーゼフ・エフナーベルリンのアンドレアス・シュレーターとは異なり、ノイマンは室内装飾の仕事を同時に行うことはなかった。むしろ専門的な芸術家を集め、マネージメントするやり方を採った。特にヴュルツブルクの司教宮殿(レジデンツ)では国際的な芸術家を集め、ヴュルツブルク・ロココの最高傑作を作り上げたのだった。

ノイマンは、1753年に砲兵隊大佐としてヴュルツブルクで亡くなった。

作品

当時としては異例といえるほど忙しい建築家であった彼は、数多くの質の高い作品を残している。彼の作品がかつて50DM紙幣に印刷されていたことからも高い評価を得ていたことが分かる。

参考文献

  • Walter Hotz: Kleine Kunstgeschichte der deutschen Schlösser. Darmstadt: Wissenschaftliche Buchgesellschaft 1970, S. 12, 24, 34, 38, 49, 56, 78, 94, 172, 174, 176, 184.



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「ヨハン・バルタザール・ノイマン」の関連用語

ヨハン・バルタザール・ノイマンのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



ヨハン・バルタザール・ノイマンのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのバルタザール・ノイマン (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS