モンゴル人や清王朝による支配(1212~1912年)
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国を失ったウイグル人は他のユーラシア諸民族と同じくモンゴル帝国の支配を受けることになり、モンゴル帝国が分裂してからも、チャガタイ・ハン国やオイラトのジュンガル・ホンタイジ国などに支配された。1759年には、満州族の清王朝がウイグル人の住む東トルキスタンの地を侵略して、植民地支配を始めた。1864年に一旦、東トルキスタンは独立を取り戻したが、またぞろ1876年に清王朝が侵攻してきて、1884年11月18日に東トルキスタンはその独立を奪われ、新疆省(新疆とは、「新しい占領地」や「新たに征服した土地」という意味)として版図に組み込まれた。
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