メダンの夕べ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/06/08 14:13 UTC 版)
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メダン派の作家たち。中央がゾラ。周囲は上から時計回りにアレクシ、モーパッサン、セアール、エニック、ユイスマンス。
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著者 |
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原題 | Les Soirées de Médan |
国 | ![]() |
言語 | フランス語 |
ジャンル | 短編集 |
出版社 | ジョルジュ・シャルパンティエ |
出版日 | 1880年4月16日 |
出版形式 | ハードカバー |
『メダンの夕べ』(メダンのゆうべ、フランス語: Les Soirées de Médan)は、1880年にフランスで発刊された6人の自然主義作家による短編集である[1][2]。いずれの話も普仏戦争に関連したものである。
- 水車小屋の攻撃 (L'Attaque du moulin) - エミール・ゾラ
- 脂肪の塊 (Boule de Suif) - ギ・ド・モーパッサン
- 背嚢を背に (Sac au dos) - ジョリス=カルル・ユイスマンス
- 瀉血 (La Saignée) - アンリ・セアール
- L'Affaire du Grand 7 - レオン・エニック
- Après la bataille - ポール・アレクシ
この短編集のタイトルは、パリ近郊のメダンにあるゾラの別荘に由来している。この別荘にはモーパッサン、ユイスマンらゾラを師と仰ぐ青年作家が集まり、彼らは「メダン派」(Groupe de Médan)と呼ばれていた。この短編集は、普仏戦争における出来事を現実的かつ非英雄的な手法で描くことで、フランス政府が推し進めた愛国的な戦争観とは対局的な自然主義文学の理想を推進しようとしたものである。
モーパッサンは、この短編集に収録された『脂肪の塊』が高く評価され、文豪としての地位を確立した。ゾラの『水車小屋の攻撃』は、アルフレッド・ブリュノーによって同名のオペラとなったが、舞台はフランス革命に変更されている。
脚注
- ^ Maupassant: Oeuvres de Maupassant, tome 1 : Contes et nouvelles, romans (Robert Laffont, 1988)
- ^ Britannica.com
外部リンク
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