ミケーレ・パドヴァーノとは? わかりやすく解説

ミケーレ・パドヴァーノ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/08/02 00:32 UTC 版)

ミケーレ・パドヴァーノ
名前
ラテン文字 Michele Padovano
基本情報
国籍 イタリア
生年月日 (1966-08-28) 1966年8月28日(56歳)
出身地 トリノ
身長 177cm
選手情報
ポジション FW
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1985-1986 アスティTSC 24 (5)
1986-1990 コゼンツァ 103 (22)
1990-1991 ピサ 30 (11)
1991-1992 ナポリ 27 (7)
1992-1993 ジェノア 27 (9)
1993-1994 レッジャーナ 29 (10)
1994 ジェノア 2 (0)
1994-1995 レッジャーナ 19 (7)
1995-1997 ユヴェントス 42 (12)
1997-1999 クリスタル・パレス 12 (1)
1999-2000 メス 9 (4)
2000-2001 コモ 12 (2)
代表歴
1997 イタリア 1 (0)
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

ミケーレ・パドヴァーノ (Michele Padovano、1966年8月28日 - ) は、イタリア共和国トリノ出身の元サッカー選手である。現役時代のポジションはフォワード。俊敏でフィジカルが強く、小柄だがヘディンぐにも強く、左足から放つ強烈なシュートを武器に活躍した[1]

経歴

アスティTSCの下部組織出身で1985年にトップチームに昇格してキャリアをスタートさせた。1986年10月、コゼンツァに移籍、1990年までの4年間に103試合に出場して22得点を挙げた。コゼンツァは監督のジャンニ・ディ・マルツィオ (Gianni Di Marzio) の元で1987-88年度にセリエC1からセリエBに昇格した。

1990年にピサに移籍してセリエAの舞台にデビューした。ピサでは30試合に出場して11得点を挙げたが、クラブは16位に終わり、セリエBに降格した。翌1991年にはナポリに移籍し、1シーズンが終わるとジェノアレッジャーナと渡り歩いた。1993-94シーズンにはレッジャーナでリーグ戦10得点を挙げ、クラブのセリエA残留に貢献した。

シーズン終了後の1994年にパドヴァーノはジェノアに復帰。2試合に出場したが、同年11月に再びレッジャーナにレンタル移籍することとなった。この年度では19試合に出場して合計7得点を挙げたが、順位は17位に終わり、レッジャーナはセリエBへの降格が決定した。パドヴァーノはこれまでもプレーすることを望んでいた、ユヴェントスからオファーを受けて移籍した[1]

1995-96シーズンUEFAチャンピオンズリーグでは大会デビューとなったグループリーグのボルシア・ドルトムントで得点を奪うと、準々決勝レアル・マドリード戦では、1stレグを0-1で落としていた中、ホームでの2ndレグで決勝点を奪うなど、優勝に貢献した[1]。決勝では後半からファブリッツィオ・ラバネッリとの交代で出場し、PK戦ではPKを成功させて優勝[1]。1996-97シーズ、UEFAスーパーカップでは2得点を決めて優勝に貢献。このシーズンは、セリエAトヨタカップでも優勝を果たした。1997-78シーズン初頭にもスーペルコッパ・イタリアーナで優勝。ユヴェントスに在籍した2シーズンで、63試合に出場して18得点、10アシスト。

パドヴァーノは1997年にイタリア代表に選出され、1998 FIFAワールドカップの欧州地区予選に出場した。しかし代表デビュー試合となったポーランドとの試合中、ペナルティーキックを蹴ろうとして転倒し、膝を骨折するという重傷を負った。

1997-78シーズン途中にパドヴァーノはイングランドへ渡り、プレミアリーグ所属のクリスタル・パレスに入団した[2]。加入初年度の1997-98シーズンにクリスタル・パレスはリーグ最下位となり、翌1998-99シーズンはフットボールリーグでのプレーを経験した。しかし2年間で12試合1得点と、出場機会はイタリア時代と比べて大幅位な減少傾向にあった。

2001年、メス及びコモでのシーズンを終えたパドヴァーノは現役引退を表明した。引退後はレッジャーナの職員を経て、2005年にはトリノでスポーツ・ディレクターに就任。2006年の2月から5月まではアレッサンドリアの職員を務めた。

タイトル

ユヴェントス

脚注

  1. ^ a b c d Michele Padovano alla Juventus, l'eroe dimenticato dell'ultima Champions”. GOAL (2022年8月22日). 2023年8月1日閲覧。
  2. ^ Gli eroi in bianconero: Michele PADOVANO”. TUTTOJUVE.com. 2016年1月28日閲覧。

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