ミカエル1世コムネノス・ドゥーカスとは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > ミカエル1世コムネノス・ドゥーカスの意味・解説 

ミカエル1世コムネノス・ドゥーカス

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/03/14 07:58 UTC 版)

ナビゲーションに移動 検索に移動
ミカエル1世コムネノス・ドゥーカス
Μιχαήλ Άγγελος Κομνηνός Δούκας
エピロス専制公
ミカエル1世コムネノス・ドゥーカスのシール
在位 1205年 - 1215年

出生 1170年頃
死去 1215年
子女 ミカエル2世アンゲロス・コムネノス(庶子)
王家 アンゲロス家
王朝 コムネノス・ドゥーカス朝
父親 ヨハネス・アンゲロス・ドゥーカス
テンプレートを表示
ベラト城城壁にあるミカエル1世のモノグラム

ミカエル1世コムネノス・ドゥーカスΜιχαήλ Άγγελος Κομνηνός Δούκας, Michael Angelos Komnenos Doukas, 1170年頃 - 1215年)は、エピロス専制侯国の初代専制公(在位:1205年 - 1215年)。

尊厳公(セバストクラトル)・ヨハネス・アンゲロス・ドゥーカスの庶子。父ヨハネスは東ローマ帝国皇帝イサキオス2世アレクシオス3世の父アンドロニコス・アンゲロスの兄弟であり、したがってミカエルは両帝の従兄弟という親族関係となる。

生涯

1204年、第4回十字軍の攻撃を受けて東ローマ帝国が滅びると、ミカエル1世は一時、テッサロニキ王国ボニファチオに仕えた。翌年、ギリシャ西岸にあるアルタを本拠地として独立国・エピロス専制侯国を建国した。ミカエルの専制公称号は彼が独自に名乗ったものであり、それまでの専制公のように皇帝から与えられたものではなかった。

その後はラテン帝国からコンスタンティノポリス奪還を目指し、ギリシャ人のラテン帝国への抵抗を指導した。ミカエル1世はラテン帝国との戦いを優勢のうちに進め、1215年にはコリントス湾からアルバニアに至る西北ギリシアを支配し、バルカン半島に一大勢力を築き上げた。しかし同年、ミカエル1世は暗殺されてしまった。

先代:
エピロス専制公
1205年 - 1215年
次代:
テオドロス1世ドゥーカス



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「ミカエル1世コムネノス・ドゥーカス」の関連用語

ミカエル1世コムネノス・ドゥーカスのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



ミカエル1世コムネノス・ドゥーカスのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのミカエル1世コムネノス・ドゥーカス (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS