マリア・ダス・ネヴェス・デ・ブラガンサとは? わかりやすく解説

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マリア・ダス・ネヴェス・デ・ブラガンサ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/05/25 08:58 UTC 版)

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マリア・ダス・ネヴェス・デ・ブラガンサ
Maria das Neves de Bragança
ブラガンサ家
マリア・ダス・ネヴェス(1877年)

全名 Maria das Neves Isabel Eulália Carlota Adelaide Micaela Gabriela Rafaela Gonzaga de Paula de Assis Inês Sofia Romana
マリア・ダス・ネヴェス・イザベル・エウラリア・カーロッタ・ミカエラ・ガブリエラ・ラファエラ・ゴンザーガ・デ・パウラ・デ・アシス・イネス・ソフィア・ロマナ
称号 サン・ハイメ公爵夫人
出生 (1852-08-05) 1852年8月5日
バイエルン王国クラインホイバッハ、レーヴェンシュタイン城
死去 (1941-02-15) 1941年2月15日(88歳没)
オーストリアウィーン
埋葬 オーストリア、プッフハイム城
配偶者 アルフォンソ・カルロス・デ・ボルボン
父親 ミゲル1世
母親 アーデルハイト・フォン・レーヴェンシュタイン=ヴェルトハイム=ローゼンベルク
宗教 キリスト教カトリック教会
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マリア・ダス・ネヴェス・デ・ブラガンサMaria das Neves de Bragança, 1852年8月5日 - 1941年2月15日)は、ポルトガルの廃王ミゲル1世とその妻であるレーヴェンシュタイン=ヴェルトハイム=ローゼンベルク侯女アーデルハイトの間の長女。

スペインカルリスタ王位請求者にしてフランスのレジティミスト王位請求者、サン・ハイメ公アルフォンソ・カルロスの妻となった。スペイン語名はマリア・デ・ラス・ニエベスMaría de las Nieves de Braganza)。

生涯

亡命者の身の上であるミゲル1世夫妻の最初の子供として生まれ、弟のミゲルが生まれるまではミゲリスタ派のポルトガル王太子 (Princesa Real de Portugal) とされていた。

1871年4月26日、クラインホイバッハで父の従弟にあたるサン・ハイメ公アルフォンソ・カルロスと結婚した。 この結婚でマリア・ダス・ネヴェスはカルリスタ派のスペイン王妃に、レジティミストフランス王妃となった。

マリア・ダス・ネヴェスは1874年に男の子を出産したが、この息子は生れて数時間後に亡くなった。サン・ハイメ公爵夫妻はこれ以後2度と子供に恵まれなかった。

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