マヤ・アルムとは? わかりやすく解説

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マヤ・アルム

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/07/14 23:03 UTC 版)

獲得メダル

WOC2010
 デンマーク
オリエンテーリング女子
世界選手権
2012 ローザンヌ スプリント
2014 ヴェネト スプリントリレー
2014 ヴェネト リレー
2014 ヴェネト スプリント
ワールドゲームズ
2013 カリ リレー
2013 カリ スプリント
ワールドカップ
2010 総合
2014 総合
ヨーロッパ選手権
2012 ファールン スプリント
2010 プリモルスコ スプリント
ジュニア世界選手権
2008 ヨーテボリ リレー
2007 ダボ スプリント
2010年ストックホルムにて、シモーネ・ニグリ=ルーダー

マヤ・アルムMaja Alm1988年7月10日 - )は、デンマークのオリエンテーリング選手[1]であり、スプリント競技を得意とする。オーフス在住。

実績

ジュニア時代

マヤ・アルムはジュニア世界選手権(JWOC)へ2004年ポーランドで開催されたJWOC2004から、2008年スウェーデンで開催されたJWOC2008にいたるまで、実に5回も出場している。初出場の2004年こそ、ミドル競技で30位、ロング競技で79位と苦しんだものの、次第に経験を積む中で2007年オーストラリアで開催されたJWOC2007スプリント競技において銅メダルを獲得した。後述の通り、同年シニア代表にも初選出され、ジュニアの年齢でありながらも世界選手権(WOC)へ出場した。翌2008年はJWOCへ集中するためデンマークのシニア代表を辞退したうえでJWOC2008に出場、リレー競技でこそイダ・ボバック、Signe Klintingとともに銀メダルを獲得したが、個人種目ではスプリント競技の11位が最高と奮わなかった。

シニア時代

非常に優れたスプリンターとして知られ、WOCにおいてもっとも金メダルに近い一人としてよく挙げられている。前述の通り、シニア選手として国際大会に初めて出場したのは2007年ウクライナキエフで開催されたWOC2007である。リレー競技に出場し、8位となっている。国際舞台においてブレイクスルーを果たしたのは2010年で、ブルガリアで開催されたヨーロッパ選手権(EOC)のスプリント競技でヘレナ・ヤンソンシモーネ・ニグリ=ルーダーに続いて3位となり銅メダルを獲得すると、同年のワールドカップでもニグリ、ヤンソンに続き総合3位となり、ノルディックオリエンテーリングツアー(NORT)でも総合4位となった。翌2011年フランスでのWOC2011スプリント競技でこそあと一歩のところでメダルを逃す4位だったが、2012年にスウェーデンで開催されたEOC2012スプリント競技で銀メダルを獲得すると、スイスローザンヌで開催されたWOC2012のスプリント競技でもニグリに続いての2位入賞、念願のメダルを獲得した。

その他

  • オーフス大学にて歯科学を専攻、オリエンテーリングや陸上競技に取り組むためにカリキュラム等のサポートを受けた[2]
  • オリエンテーリングのクラブだけでなく、オーフスGFの陸上競技部門に所属しトレーニングを積んでいる。

参考文献




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