ポルトガル領タンジェとは? わかりやすく解説

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ポルトガル領タンジェ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/02/23 00:39 UTC 版)

ポルトガル領タンジェ
Tânger Portuguesa (ポルトガル語)
طنجة البرتغالية (アラビア語)
1471年 - 1661年
ポルトガルの国旗

タンジェの地図
宗教 カトリック
イスラム教スンナ派
首都 タンジェ
元首等
xxxx年 - xxxx年 不明
変遷
アシラー征服 1471年
イベリア連合の治下 1580年 - 1640年
イングランドに譲渡
持参金として)
1661年
現在 モロッコ

ポルトガル領タンジェ(ポルトガルりょうタンジェ、アラビア語: طنجة البرتغالية‎、ポルトガル語: Tânger Portuguesa )は、モロッコの都市タンジェポルトガル支配時代である。1471年から1580年まで、および1640年から1661年まではポルトガル王国によって統治され、1580年から1640年まではイベリア連合の一部としてポルトガル評議会によって統治された。

歴史

ポルトガルはかねてからタンジェの占領に挑んでいたが、1437年英語版、1458年、そして1464年の試みはいずれも失敗した[1]。1471年のアシラー征服の後で成功した[2]。ポルトガルはこの時期に複数のヨーロッパ風の建築物を建てた[3]。その後、モロッコのワッタース朝は1508年、1511年、1515年に奪回を試みたが成功しなかった。

モロッコポルトガルが戦ったアルカセル・キビールの戦いによって1580年のポルトガル継承危機が起きてイベリア連合が成立したことで、1580年から1640年まではポルトガル評議会の下でタンジェは統治された。

ポルトガル王政復古戦争の後、タンジェの主権はポルトガル王国に割譲された。

1661年、タンジェは持参金としてイングランドに譲られた。イングランドとモロッコ軍の間で戦い英語版が始まり、最終的にはモロッコの勝利で終わった。

脚注

参考文献




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