ホセ・トーレス
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/08/01 07:21 UTC 版)
| 基本情報 | |
|---|---|
| 本名 | ホセ・トーレス |
| 通称 | Chegüi |
| 階級 | ライトヘビー級 |
| 身長 | 178cm |
| リーチ | 188cm |
| 国籍 | |
| 誕生日 | 1936年5月3日 |
| 出身地 | ポンセ |
| 死没日 | 2009年1月19日(72歳没) |
| スタイル | オーソドックス |
| プロボクシング戦績 | |
| 総試合数 | 45 |
| 勝ち | 41 |
| KO勝ち | 29 |
| 敗け | 3 |
| 引き分け | 1 |
| 無効試合 | 0 |
| 獲得メダル | ||
|---|---|---|
| 男子 ボクシング | ||
| オリンピック | ||
| 銀 | 1956 メルボルン | ライトミドル級 |
ホセ・トーレス(José Torres、1936年5月3日 - 2009年1月19日)は、プエルトリコの男性プロボクサー。ポンセ出身。元WBA・WBC世界ライトヘビー級王者。
略歴
アマチュアとしてメルボルン五輪に出場、決勝でラースロー・パップに敗れて銀メダルを獲得。その後1958年にプロデビュー、名伯楽カス・ダマトの指導を受ける。デビュー以来連戦連勝を続け、1963年にフローレンチノ・フェルナンデスに敗れるまで、1引分けを挟んで26連勝をマーク(この中には9連続KO勝ち、10連続KO勝ちが含まれる)。
なかなか王座挑戦のチャンスに恵まれなかったが、1965年3月30日、ウィリー・パストラーノに9回KO勝ちし、WBA・WBC世界ライトヘビー級統一王者を獲得(パストラーノは希代のフットワーカーだった。ボクシング研究家でもあるジョー小泉は、パストラーノをまっすぐ追わずジグザグに追い詰めたトーレスのクレバーさを高く評価している)。以後3度防衛したが、1966年12月16日、ミドル級から上がってきたナイジェリアの偉大なファイター、ディック・タイガーに15回判定負けで王座を奪われた。翌年5月16日のリターン・マッチにも判定で敗れると、年齢から来る限界もあってか、その後2試合を行っただけで1969年に引退。
王者としての活躍は決して華々しいとは言えなかったが、その強打とクレバーなボクシングは今も識者の高い評価を受けている。モハメド・アリがインタビューで「今までで最も苦しかったファイトは?」と質問され、「ホセ・トーレスとやった3ラウンドのスパーリング」と冗談交じりに答えたというエピソードが、その実力を物語っている。
引退後はボクシング・ライターとして健筆を揮い、アリやマイク・タイソンに関する著作も物している。
2009年1月19日、ポンスの自宅にて心臓発作により死亡。72歳没。
通算戦績
45戦41勝(29KO)3敗1引分け
著作
『カシアス・クレイ』(和田俊/訳)朝日新聞社 1972年
『ビッグファイト、ビッグマネー マイク・タイソン《拳の告白》』(山際淳司/訳)竹書房 1990年
関連項目
- 男子ボクサー一覧
- 世界ボクシング協会世界王者一覧
- 世界ボクシング評議会世界王者一覧
- 統一世界王者
- 「ホゼイ・トーレス」:勅使河原宏監督のドキュメンタリー映画(1960年公開)。
外部リンク
| 前王者 ウィリー・パストラーノ |
WBC世界ライトヘビー級王者 1965年3月30日 - 1966年12月16日 |
次王者 ディック・タイガー |
| 前王者 ウィリー・パストラーノ |
WBA世界ライトヘビー級王者 1965年3月30日 - 1966年12月16日 |
次王者 ディック・タイガー |
固有名詞の分類
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