ホセ・テロン
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/23 07:26 UTC 版)
ナビゲーションに移動 検索に移動José Terrón | |
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José Terrón as Logan in Lo voglio morto (1968)
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生誕 | José Terrón Peñaranda 1939年7月5日 Madrid |
死没 | 2019年5月12日 (79歳) Benidorm |
職業 | Film actor |
子供 | Marimar Terron |
親戚 |
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ホセ・テロン・ペニャランダ(José Terrón Peñaranda、1939年7月5日 - 2019年5月12日)は、スペインの俳優である。
人物
マドリード出身。スタントマン出身であり、主に1960年代半ばからのマカロニ・ウエスタンに多く出演した。特に『夕陽のガンマン』[1](1965年)に於けるモーティマー大佐に最初に撃たれる賞金首ガイキャロウェイ、『続・荒野の用心棒』(1966年)のジャンゴに撃たれる残忍なリンゴー役がベスト・パフォーマンスとして記憶される。ほかに『続・夕陽のガンマン』(1966年)のトーマス・"ショーティ"・ラーソンがある[2]。
やや細面で歯並びが悪く、歯茎剥き出しの強烈な面相で印象を残す。他にはスペインでロケされた欧米の西部劇にも顔を出し、『シャラコ』(1968年)にも出演している。
テロンは2019年5月12日にベニドルムで79歳で病気で亡くなった[3] [4]。
フィルモグラフィー
- エル・シド(1961)
- ローマ帝国の滅亡(1964)
- サーカスの世界(1964)
- モーティマーの最初の刑事、ガイ・キャロウェイとして数ドル以上(1965年)
- リンゴとしてのDjango (1966)-傷跡のあるクランメンバー
- ウォッチヘンチマンとしてのどこからともなく男(1966)
- 兵士としてのさすらいのガン(1966)
- 続・夕陽のガンマン(1966)as Thomas'Shorty 'Larson
- コンプリス・ディ・ウォルコットとしての死は馬に乗る(1967)
- 神は許します。 。 。私はしません! (1967)「フラットフェイス」として-サンアントニオヘンチマン
- 絞首刑執行人としての殺人者のための15の足場(1967)
- ローガンとして彼を死にたい(1968)-サルーンで飲むカウボーイ
- インド人としてのシャラコ(1968)
- ホワイトコマンチェ(1968)コマンチェ/タウンズマン
- フランシスコ・ヘンチマンとしてのアヴェ・マリアのガンマン(1969)
- Apacheとしての悪魔のバックボーン(1971)
脚注
- ^ Ferraro (2018年8月11日). “Stasera in tv: "Per qualche dollaro in più" su Rai 3” (イタリア語). Cineblog. Triboo Media. 2019年3月3日閲覧。
- ^ (ドイツ語) Zwei glorreiche Halunken 2019年3月3日閲覧。.
- ^ Quinlan. “Jose Terron”. Pictures that Talk. 2019年7月12日閲覧。
- ^ Tom B. (2019年5月12日). “RIP José Terrón”. Western Boot Hill. Blogspot. 2019年7月12日閲覧。
外部リンク
- ホセ・テロン - インターネット・ムービー・データベース(英語)
- ホセ・テロンのページへのリンク