ヘイモ・ハイットとは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > ヘイモ・ハイットの意味・解説 

ヘイモ・ハイット

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2015/12/01 00:01 UTC 版)

ヘイモ・ヴェルネリ・ハイット(Heimo Verneri Haitto, 1925年5月22日 - 1999年6月9日[1])は、フィンランド出身のヴァイオリン奏者

ルオコラハティの生まれ[2]。5歳の時に屋根から雪の吹き溜まりに飛び移ろうとして足を骨折し、しばらく安静にしなければならなくなった時にヴァイオリンに出会う[3]。アマチュアの音楽家だった父親にヴァイオリンの手ほどきを受け、9歳の時にヴィボルク音楽院のオーディションを経てボリス・シルポに住み込みで弟子入りするようになった。1939年にはヘルシンキでデビューを飾り、ロンドンでブリティッシュ・カウンシル主催の国際ヴァイオリン・コンクールで優勝を果たした[4]。またその年のうちにハイットのための映画「小さなフィドル弾き」が制作され、その映画に出演。しかし冬戦争が勃発したため、ノルウェースウェーデンでフィンランド赤十字のための慈善演奏旅行を行った。その時、オスロのフィンランド大使館の伝でアメリカにも演奏旅行に出て、そこで得た10万ドルの収益をフィンランドに寄付した。その後、1941年にアメリカ映画の「ザ・ハード・ボイルド・カナリア」に本人役で出演している。1942年に師のシルポと共にアメリカに移住し、ピーター・メレンブルムに師事[5]。1943年には市民権を得てアメリカ海軍に志願。1945年にはチェロ奏者のビバリー・レベックと結婚し、後にロサンゼルス・フィルハーモニー管弦楽団に所属したが、無断欠勤や賭博の借金などを理由に解雇されることとなった。レベックと離婚後は、1964年からフィンランド人女優のマルヤ゠リーサ・ニスラと結婚したが1966年に離婚。師のシルポの死去を機に演奏活動を停止し、浮浪者として生活するようになった。1976年にフィンランド人ジャーナリストのエヴァ・ヴァスタリと出会って結婚してから演奏活動を再開し、1979年にフィンランドに戻ってラハティ音楽院の講師となった。1995年に病気のために引退。

療養先のマルベーリャにて死去。

脚注

  1. ^ [1]
  2. ^ [2]
  3. ^ Tero Halvorsen(2013) 'Heimo Haitto', Heimo Haitto plays Sibelius, Finlandia Classics <FINCLA 2>.
  4. ^ [3]
  5. ^ [4]



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「ヘイモ・ハイット」の関連用語

ヘイモ・ハイットのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



ヘイモ・ハイットのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのヘイモ・ハイット (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS