ブレスケンス号の一度目の山田寄港
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/08 07:57 UTC 版)
「ブレスケンス号事件」の記事における「ブレスケンス号の一度目の山田寄港」の解説
1643年(寛永20年)2月、マルチン・ゲルリッツエン・フリースを隊長とする2回目の探検隊がバタヴィアを出航した。探検隊はカストリクム号とブレスケンス号(指揮官:ヘンドリック・コルネリスゾーン・スハープ(オランダ語版))の2隻で構成された。ところが、5月に房総半島沖で暴風雨に遭遇し、ブレスケンス号は一旦千島列島沖まで北上した後に南下し、6月10日に盛岡藩領である陸奥国山田浦(現在の岩手県山田町)に漂着した。突然現れた外国人に村民は驚いたが、上陸してきたオランダ人を歓迎した。ブレスケンス号は水の補給を受けた後、再び探検のため出航した。
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