ブルガリア帝国の侵入
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/16 06:18 UTC 版)
「東ローマ帝国支配下のギリシャ」の記事における「ブルガリア帝国の侵入」の解説
10世紀、シメオン1世の下で強大になったブルガリア帝国はコンスタンティノープルを攻撃する一方で、ギリシャへも攻撃を加えており一時はペロポネソス北端までブルガリア軍の制圧下に入った。927年にシメオンが死亡するとブルガリア帝国は勢力が衰退したため、ギリシャは東ローマ帝国の支配下となったが、997年に即位したサムイルによってギリシャは再び東ローマ帝国とブルガリア帝国の戦場となり、ギリシャは大きな被害を受けた。だが、1018年バシレイオス2世によってブルガリア帝国が滅ぼされたため、ギリシャは再び東ローマ帝国の支配下となった。
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