フィリッポ・パルラトーレとは? わかりやすく解説

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フィリッポ・パルラトーレ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/11 04:14 UTC 版)

フィリッポ・パルラトーレ

フィリッポ・パルラトーレ(Filippo Parlatore、1816年8月8日 - 1877年9月9日)は、イタリアの植物学者である。

略歴

パレルモに生まれた。パレルモ大学医学解剖学を学んで科学的な経験をした。パレルモ植物園長のティネオ(Vincenzo Tineo)とベルナルディ(Antonino Bivona Bernardi)に学び植物学に興味を持った。1840年から植物学研究のために、パレルモをでて、イタリア、スイスに渡り、パリで1年ほど滞在し、ドゥ・カンドールサンティレールブロンニャールに学び、ウェッブフンボルトらと親しくなった。

1842年にトスカーナ大公レオポルド2世によってフィレンツェ大学の植物学に任じられ、植物博物館に付随する薬草園の園長も務めた。1844年に植物雑誌"Giornale botanico italiano"を創刊し、標本館(l'Erbario Centrale Italiano)を設立した。1888年没するまでフィレンツェ自然史博物館(Museo di storia naturale Firenze)の館長を務めた。

22歳の時にシチリア島の植物についての著作、"Flora Panormitana"を執筆し、1848年から『イタリアの植物』("Flora Italiana")の執筆をはじめ、この著作の後半はカルエル(Théodore Caruel)が執筆した。その他に著書として『比較植物学演習』("Lezioni di botanica comparata" :Firenze, 1843)や『Fumaria属のモノグラフ』("Monografia delle fumarie:Firenze", 1844)がある。ドゥ・カンドールの"Prodromus systematis naturalis regni vegetabilis" の一部の執筆やウェッブの"Histoire naturelle des îles Canarie" の一部の執筆も行った。

アブラナ科の属名Parlatoria Boiss.や、サトイモ科Dieffenbachia parlatorii Linden & André献名されている。

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