ピエール・カルロ・パドアンとは? わかりやすく解説

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ピエール・カルロ・パドアン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/01 14:33 UTC 版)

ピエール・カルロ・パドアン
Pier Carlo Padoan
生年月日 (1950-01-19) 1950年1月19日(73歳)
出生地 ラツィオ州ローマ
出身校 ローマ・ラ・サピエンツァ大学
所属政党 無所属

イタリア共和国経済財務大臣
内閣 レンツィ内閣
ジェンティローニ内閣
在任期間 2014年2月22日 - 2018年6月1日
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ピエール・カルロ・パドアンイタリア語: Pier Carlo Padoan1950年1月19日 - )は、イタリアの経済学者、政治家。レンツィ内閣ジェンティローニ内閣において同国の経済財務大臣を務めた。

経歴

ローマ・ラ・サピエンツァ大学経済学を学び、卒業。大学時代には「マルクス主義批判」という雑誌でジョン・メイナード・ケインズの経済理論を痛烈に批判した事もあった[1]

その後はローマ・ラ・サピエンツァ大学の経済学の教授となり、2007年までその職に就いた。1992年から2001年までは欧州大学院大学の教授としても教鞭をとる。その他、ブリュッセル自由大学ウルビーノ大学東京大学などで客員教授を務めた[2]

1998年からイタリアの首相を務めたマッシモ・ダレマジュリアーノ・アマートの経済顧問として、アジェンダ2000リスボン条約G8などの各種国際会議で交渉責任者を務める。2001年にはIMFの理事に就任[3]

2007年、OECD(経済協力開発機構)の副事務総長に就任し、2009年にはOECD総局長(チーフ・エコノミスト)に昇進した。

2013年にイタリア国家統計局(ISTAT)の局長に就く事が内定していたが、2014年2月、イタリアの首相に任命されたマッテオ・レンツィからの指名を受け、レンツィ内閣の経済財務大臣に就任[4]。2016年12月に発足したジェンティローニ内閣でも留任した。2018年6月に退任。

脚注

先代
ファブリツィオ・サッコマンニ
イタリア共和国経済財務大臣
2014年2月22日 - 2018年6月1日
次代
ジョバンニ・トリア英語版



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