ビンダリー
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/09/27 14:02 UTC 版)
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ビンダリー | |
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品種 | サラブレッド |
性別 | 騸 |
毛色 | 栗毛 |
生誕 | 1994年3月22日 |
死没 | 2024年9月27日(30歳没) |
父 | ローゼリアー |
母 | フローイングタイド |
生国 | ![]() |
生産者 | ノエル・キング |
馬主 | Mrs J Mould →H R Mould |
調教師 | ニゲル・ツイストンデイビス |
競走成績 | |
生涯成績 | 40戦9勝 |
獲得賞金 | 48万991ポンド |
ビンダリー (Bindaree) は、アイルランドで生産、イギリスで調教された競走馬である。2002年のグランドナショナルに優勝した。
1999年10月に行われたナショナルハントフラットでデビュー、3着となる。2戦目、3戦目はハードル競走に出走して連勝、さらにチャブノービスハードル (G2) 、チャローノービスハードル (G1) にも優勝し4連勝となる。しかしスポットオンノービスハードル (G2) で2着に敗れて連勝は止まり、続くロイヤル&サンアライアンスノービスハードル (G1) 、セフトンノービスハードル (G1) はそれぞれ4着、7着に終わった。
翌2000/2001シーズンよりチェイスに転向し、3戦目でビターノービスチェイス (G2) で優勝するが、以後1年以上にわたって重賞で惜敗を重ねる。そして2002年4月、グランドナショナルに10ストーン4ポンド (65.4kg) の斤量で出走した。単勝21倍という人気薄であったが、ビンダリーは中団の内からレースを進め2周目のビーチャーズブルックで早くも先頭に立つ。しかしここからカラ馬に執拗に絡まれ、最終障害手前でいったんはファッツアップボーイズに先頭を譲るが、直線に入ってファッツアップボーイズが外に膨らんだところをふたたび差し返して1馬身3/4の差をつけて優勝した。1番人気のブローイングウインドはさらに27馬身はなれた3着だった。勝ちタイムは9分8秒6。出走馬40頭中11頭が完走した。調教師のツイストンデイビスは1998年のアースサミット以来となる2勝目を挙げた。
2002/2003シーズンは初戦のG2競走で最下位となるなど全体的に不調で、グランドナショナルにも10ストーン11ポンド (68.5kg) で出走したが1周目のビーチャーズブルックで飛越ミスにより後方に下がってしまい、その後盛り返したが、優勝したモンティズパスから40馬身差の6着に敗れた。翌2003/2004シーズンはウェルシュナショナルに優勝して復活をアピール、グランドナショナルでも11ストーン4ポンド (71.7kg) のハンデながら単勝11倍の1番人気となった。しかし、1周目のビーチャーズブルックでブローイングウインドが飛越を拒否、これで不利を受けたビンダリーが着地側で騎手を振り落とし、さらにこれに巻き込まれたファッツアップボーイズも競走中止。飛越拒否を含め、この障害で9頭が脱落した。
2004年のグランドナショナルにも4年連続で出走したが11着に敗れた。そして同年11月のビーチャーチェイスで8着となり、その後脚部の故障により引退した。
2024年9月27日、死去したことが分かった。30歳没[1]。
脚注
- ^ Lees, Jon (2024年9月27日). “‘Devastated’ jockey announces death of Grand National hero Bindaree, aged 30” (英語). The Mirror. 2024年9月27日閲覧。
外部リンク
- 競走馬成績と情報 Racing Post
固有名詞の分類
サラブレッド |
ヴィヴァパタカ フィンシャルベオ ビンダリー シーイズトウショウ ブルリー |
イギリス調教の競走馬 |
ワークフォース ヴィヴァパタカ ビンダリー ダイヤモンドウェッディング オーエンテューダー |
アイルランド生産の競走馬 |
ハードツービート フィンシャルベオ ビンダリー シルヴァーフロスト ホーリーローマンエンペラー |
1994年生 (競走馬) |
カイフタラ メイセイオペラ ビンダリー サプライズパワー デイラミ |
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