ハウエル・デイヴィスとの航海
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/02 14:15 UTC 版)
「オリビエ・ルバスール」の記事における「ハウエル・デイヴィスとの航海」の解説
ブランキラ島でイギリス軍艦HMSスカーボロ号から逃走したルバスールは西アフリカへ向かい、1719年から1720年にかけてハウエル・デイヴィスおよびトマス・コクリンと行動を共にした。当初ルバスールは備砲14門の船でデイヴィスの船を攻撃しようとしたが、相手が同業者であることを知るとよりよい船を手に入れるまで一緒に航海してほしいと頼み、デイヴィスもこれも快諾した。シエラレオネではコクリンが仲間に加わり、一行はルバスールのブリガンティン船でウィダーの砦を攻撃して占拠した。港に船が入港した時、一行はそれを拿捕し、デイヴィスは当初の約束通りルバスールに船を与えた。 作戦会議の結果一行は沿岸を下っていくことになったが、親密な関係はいつまでも続かず、ついには口論に発展してしまった。デイヴィスは一行を解散することに決め、それぞれ別の針路を取ることにした。
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