ノム・ダシュ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/05 16:00 UTC 版)
『高貴系譜』はノム・クリにノム・ダシュ(Nūm tāšنوم تاش)とブヤン・テムル(Buyān tīmūrبیان تیمور)という二人の息子がいたことを伝えている。また、「重修文殊寺碑」には「ノム・クリ大王(喃忽里大王)」の後を継いだのは「ノム・ダシュ太子(喃答失太子)」と記されており、ノム・ダシュこそがノム・クリの後継者であったと確認される。そして、ノム・ダシュこそが「重修文殊寺碑」を建設した本人であった。 至治元年(1321年)にはコンチェク、クタトミシュとともに印璽を与えられたが、他の2名が従三品であったのに対しノム・ダシュは正三品で、1ランク上に位置づけられていた。この記事から、当時チュベイ系の王家が3つあったこと、その中でノム・クリ系王家が他の2王家を統轄する立場にあったことが確認される。 ノム・ダシュの死後、チュベイ王家ではノム・クリの弟のクタトミシュが天暦の内乱を通じて急速に勢力を拡大し、豳王の称号とチュベイ・ウルス当主の座を奪うまでに至った。
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