ヌルハチの後継者
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/10 06:16 UTC 版)
ホンタイジがヌルハチの後を継ぐと、朝鮮が後金に叛いて親明政策を取るようになった。また明の武将なども積極的に登用するようになった。後金は明と断交しているために、当然朝貢が出来なくなっていたが、朝貢の利益は後金にとって非常に重要だったので、それまでは朝鮮を抜け道として間接的に明と通商していた。しかし朝鮮が叛いたことによってこの道が絶たれ、後金の国内には出荷することのできない人参や貂の毛皮などが山積みになった。この状況を打開するため、1627年1月に宿敵であった袁崇煥と和議の交渉をした。交渉は上手くいかず頓挫するが、明には朝鮮を援助する力がなくホンタイジは天聡元年(1627年)に従兄のアミン(阿敏)に3万の大軍を預けて朝鮮へ遠征させた(丁卯の役)。遠征の結果、朝鮮を弟、金を兄とする密約が結ばれた。
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