ニコロ・フェッラーリとは? わかりやすく解説

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ニコロ・フェッラーリ

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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/09/24 15:36 UTC 版)

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Nicolò Ferrari
ニコロ・フェッラーリ
生年月日 (1928-04-24) 1928年4月24日(92歳)
出生地 イタリア リグーリア州ジェノヴァ県カモーリ
職業 脚本家映画監督
ジャンル イタリア式コメディ
活動期間 1950年 -
活動内容 1950年 短篇映画を監督
1957年 脚本家デビュー
1961年 長篇映画を監督
主な作品
監督
『裸のラウラ』
脚本
女性上位時代
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ニコロ・フェッラーリNicolò Ferrari, 1928年4月24日 - )は、イタリア脚本家映画監督である[1]。日本では自動車メーカー的にニコロ・フェラーリ[2]とも表記される。

来歴・人物

1928年(昭和3年)4月24日、イタリアのリグーリア州ジェノヴァ県カモーリに生まれる[1]

1950年(昭和25年)、短篇ドキュメンタリー映画『余計な男たち』を監督し、発表している[1]。1953年(昭和28年)、オムニバスわれら女性』のうち、アルフレード・グァリーニが監督した第一話、およびロベルト・ロッセリーニが監督した第三話で助監督を務める[1]。1957年(昭和32年)、ジュゼッペ・デ・サンティス監督の『大爆走』の脚本執筆に参加、脚本家としてデビューする[1]

1961年(昭和36年)、ジョルジア・モルを主演に初の長篇監督作『裸のラウラ』を発表する[1]

長篇監督作『私のマオ』を発表した1970年(昭和45年)以降、1984年(昭和59年)に発表された、イタリア共産党第5代書記長エンリコ・ベルリンゲルの死を悼むオムニバス映画『ベルリンゲル、さようなら』に監督として参加するまで、脚本作・監督作ともにみられない[1]

その後、70歳代となった2001年(平成13年)以降、2作のオムニバスに監督として参加している[1]

フィルモグラフィ

一部を除きインターネット・ムービー・データベースに掲載された一覧である[1]

参考文献

  • 『イタリア映画史入門 1905 - 2003』 : ジャン・ピエロ・ブルネッタ、訳川本英明、鳥影社、2008年7月 ISBN 4862651445

関連事項

  1. ^ a b c d e f g h i Nicolò Ferrari, インターネット・ムービー・データベース (英語), 2011年2月9日閲覧。
  2. ^ ニコロ・フェラーリ、キネマ旬報映画データベース、2011年2月9日閲覧。
  3. ^ イタリア映画大回顧東京国立近代美術館フィルムセンター、2011年2月9日閲覧。

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