トーマス・アトウッド・ウォルミズリーとは? わかりやすく解説

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トーマス・アトウッド・ウォルミズリー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/22 03:43 UTC 版)

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トーマス・アトウッド・ウォルミズリー
Thomas Attwood Walmisley
基本情報
生誕 1814年1月21日
イングランド ロンドン
死没 (1856-01-17) 1856年1月17日(41歳没)
ジャンル クラシック
職業 オルガニスト作曲家

トーマス・アトウッド・ウォルミズリー: Thomas Attwood Walmisley, 1814年1月21日 - 1856年1月17日)は、イングランド作曲家オルガニスト

生涯

ウォルミズリーはロンドンに生まれた。父はよく知られたオルガニストのトーマス・フォーブズ・ジェラード・ウォルミズリー(Thomas Forbes Gerrard- 1783年-1856年)で、聖公会の教会音楽やグリー英語版のための楽曲を作曲もしていた。名付け親は作曲家のトーマス・アトウッドである。ウォルミズリー少年は彼らの指導の下、音楽を学んだ。

ウォルミズリーは1830年クロイドン大聖堂英語版のオルガニストに就任した。その後1833年ケンブリッジ大学トリニティ・カレッジのオルガニストとなり、間もなくアンセムやその他の作曲家として頭角を現していった。また、同時期に同大学のセント・ジョンズ・カレッジ英語版の合唱団でもオルガニストとなっている。彼は音楽学士、音楽博士の学位を取得するのみならず、ケンブリッジ大学ジーザス・カレッジを卒業して学士修士の学位を取得している[1]

1836年、ウォルミズリーは音楽の教授となった。彼の「教会音楽 Cathedral Music」は、本人の死後に彼の父によってまとめられた。

ウォルミズリーは1856年にこの世を去り、イースト・サセックス州フェアライト英語版のセント・アンドリュー教会に埋葬された。

作品

ウォルミズリーは、主にマニフィカトや、聖公会の合唱曲目となっている「ヌンク・ディミティス」ニ短調で知られる。また、彼が作曲した聖公会の詠唱歌には、今日でも一般的に歌われているものが多くある。

脚注

出典

  1. ^ "Walmisley, Thomas Attwood (WLMY833TA)". A Cambridge Alumni Database (英語). University of Cambridge.

参考文献

外部リンク




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