トゥメト・ハーン家の終焉
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/03/03 06:48 UTC 版)
「トゥメト」の記事における「トゥメト・ハーン家の終焉」の解説
1603年に即位したチャハル部長リンダン・ハーンは、モンゴル再統一をもくろみ、それまで対等の立場にあったモンゴル諸部に対して強権をふるった。時に女真族の後金国は勢力を拡大し、ハルハ部やホルチン部などをその支配下に置き、チャハル部に迫ってきた。1628年、リンダン・ハーンはハラチン部、トゥメト部、オルドス部を降して西進し、チベット遠征をおこなうが、青海に入る途中の甘粛武威の草原で病死した。
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