ツタンカーメンとは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 固有名詞の種類 > 人名 > 政治家 > 統治者・君主 > 幼君 > ツタンカーメンの意味・解説 

ツタンカーメン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/18 03:54 UTC 版)

ツタンカーメン(翻字: twt-anx-imn, エジプト語英語化: Tutankhamun[4][11], Tutankhamen, King Tut, 紀元前1341年頃 - 紀元前1323年頃)は、古代エジプト第18王朝ファラオ(在位:紀元前1332年頃 - 紀元前1323年頃)。より厳密な表記では、トゥトアンクアメン[1][4][5]


注釈

  1. ^ Tutankhamen, Tutankhamonとも呼ばれる。なお、英語圏ではTutankhamunが一般的である。
  2. ^ Tutankhatonとも。
  3. ^ B.C.1335-B.C.1327, B.C.1361頃-B.C.1352[1],酒井傳六はB.C.1363-B.C.1354[2] ,von BeckerathはB.C.1335-B.C.1325[3],B.C.1347-B.C.1338[4][5]、マーチャントはB.C.1321-B.C.1312[6]とする。
  4. ^ ツタンカーメンの名前は、音節の句切れはTut ankh amenであるが、これをtu tan kha menと最初期の訳者が誤って区切り音写してしまったものが定着した可能性がある[要出典]
  5. ^ 現状、英語版ウィクショナリーは"i"の音を"j"と翻字する方式を採用しているため、jが用いられている。
  6. ^ "twt-anx-itn"の訳については異説があり、例えばBattiscombe Gunn(en)はよりアクエンアテンの神学に沿った訳を考案した。彼は"twt"を名詞ではなく動詞だとみなし、"The life of Aten is pleasing"と訳した。また、Gerhard Fecht教授も同じく"twt"を動詞と考えており、"One perfect of life is Aten"と訳した。教授はアクエンアテンは別の単語である"tit(wik[注釈 5])"を"image"の意味として用いたと考え、"twt(wik)"は"To be perfect/complete"という意味なのではないかと解釈した[8]
  7. ^ 生没年に関しては不詳であるとしたり[9]、B.C.1345-B.C.1327とも、B.C.1370頃-B.C.1352[1]ともされる
  8. ^ カーターによる発掘番号の最後は620番[16]であるが、遺物の正確な数については不明である。ザヒ・ハワス博士は5000点と言及している[15]
  9. ^ 吉村(1984)は、ツタンカーメンの崩御した時期を紀元前1324年の1月としている[22]
  10. ^ このDNA検証の流れは複雑である。流れとして、まずKV55のミイラがツタンカーメンの父で、かつアメンホテプ3世の息子であることが判明した。そこで、KV55のミイラが、候補であるアクエンアテンとスメンクカーラーのどちらであるかが分かればツタンカーメンの父が特定できる、という方法を用いた。KV55のミイラにはアクエンアテンだけに関係のある言葉が刻まれていた考古学的証拠に加え、通称「年配の淑女」と呼ばれているKV35ELのミイラである、アメンホテプ3世の妃ティイとKV55のミイラに血縁関係が見つかったのである。よって、アメンホテプ3世とティイの息子で、ツタンカーメンの父親であるKV55号墓のミイラは、ほぼ確実にアクエンアテンだと結論づけられるとされている[15]
  11. ^ アクエンアテンの両親であるアメンホテプ3世とティイの娘の名前はほとんど判明しているが、この若い方の淑女の名前だけは現在不明である[15]
  12. ^ キヤがツタンカーメン(およびスメンクカーラー)の母であったという説の強力な状況証拠は王家の墓の壁面に描かれた出産の場面である。これは恐らく彼女が難産のため出産時に死亡したことを示す[29][30]。またウィルキンソンは2007年の著作で、ヘルモポリスで発見された石材の銘文が、キヤがツタンカーメンの母であるということを強く示唆するとしている[31]。ただしこれはハワスらによるDNA鑑定前の見解である[32]
  13. ^ のち改名してアンケセナーメン(正確にはアンクエスエンアメン)となった。
  14. ^ アクエンアテンとネフェルティティの三女[33]
  15. ^ 王即位以前、アケトアテン(テル・エル・アマルナ)にて結婚したと、ハワスはみなす[33]
  16. ^ この即位時推定年齢はザヒ・ハワスらによるミイラのCTスキャン結果からも支持される。この検査ではツタンカーメンの死亡年齢が18歳前後と分析された。確認されているツタンカーメンの最後の治世年は治世第10年のため、逆算によって即位時年齢が導き出せる[44]
  17. ^ ただし、トゥトアンクアテンとトゥトアンクアメンの両方の名前が記された玉座や戦車が発見されており、両方の名前を併用していた時期が存在した可能性がある[44]
  18. ^ ツタンカーメンの王妃の元の名は Ankhesenpaaten(anx-s-n-pA-itn)で、アンクエスエンパーアテン・アンケセンパーテン・アンケスエンパーテンなどと様々に呼ばれる。なお変更後はAnkhesenamen(anx-s-n-imn)
  19. ^ マネトの著作(題:Aegyptiaca)は散逸しており、完全には現存していない。しかし、ヨセフスアフリカヌスヒエロニムスエウセビオスなどの歴史家たちが引用した部分から彼の記述をある程度推定できている。
  20. ^ 具体的には、女性化乳房マルファン症候群ウィルソン・ターナーX鎖知的障害症候群脂肪性器性異栄養症クラインフェルター症候群アンドロゲン不応症アロマターゼ過剰症候群頭蓋骨縫合早期癒合症アントレー・ビクスラー症候群、またはその亜種のいずれかに苦しんでいた可能性があるとされる[要出典]
  21. ^ ともに生没年未詳だが、トトメス4世は在位10年、アクエンアテンは在位17年とアメンホテプ3世の38年よりかは短い。
  22. ^ 千葉工業大学の研究グループは、鉄隕石を1000℃以下で加熱して製作したと推測する世界初 ツタンカーメンの鉄剣の元素分布分析を実施”. 2022年1月31日閲覧。
  23. ^ ツタンカーメンの(父がアクエンアテンであるとすれば、)祖父であるアメンホテプ3世の妃、ティイの兄弟がアイである。これは、ツタンカーメンから見て大おじにあたる(#系譜)。

出典

  1. ^ 翻訳元原文(ドイツ語)は"Sohn des Königs von seinem Leibe, von ihm geliebt, Tut-anchu-Aton."別の出典では"the king's son of his body Tutankhaton"[33]となっている。なお、"The king's son of his body"の原文は、"zA-nswt.n Xt.f"[34]
  2. ^ 原文は"the daughter of the king, of his body, his great desire of the king of Two Lands, Ankhesenpaaton"[33]
  1. ^ a b c ブリタニカ 2016.
  2. ^ a b c d e ニッポニカ 2014.
  3. ^ a b c d e f g Lundström (2011).
  4. ^ a b c d 屋形 1969, p. 222.
  5. ^ a b c d e f g h 屋形 1998, pp. 497–501.
  6. ^ a b マーチャント (2014), p. 9.
  7. ^ Ridley(2019) p.276
  8. ^ Eaton-Krauss 2015, pp. 28–29.
  9. ^ ニッポニカ(2014)
  10. ^ マーチャント (2014), p. 114.
  11. ^ ショー,ニコルソン(1997) p.355
  12. ^ Reeves(1990) p.24
  13. ^ a b c d e f g h i j 吉成 (2012), pp. 112–115.
  14. ^ ハワス(2004) p.73
  15. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t ハワス (2010).
  16. ^ Anatomy of an Excavation”. The Griffith Institute. 2021年12月20日閲覧。
  17. ^ 河合 2012, pp. 83–87.
  18. ^ ハワス 2012, p. 18.
  19. ^ 衣奈ほか 1965.
  20. ^ 東京文化財研究所 美術界年史(彙報)ツタンカーメン展”. 2022年1月18日閲覧。
  21. ^ ハワス 2012, p. 5.
  22. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p 吉村 (1983), pp. 99–118.
  23. ^ Dodson&Hilton(2010) p.149
  24. ^ a b Hawass, et al.(2010) pp.642-645
  25. ^ Zivie(1998) pp.33–54.
  26. ^ Gundlach&Taylor(2009) p.160
  27. ^ a b c d マーチャント (2014), pp. 282–294.
  28. ^ Tawfik,Thomas&Hegenbarth-Reichardt(2018) p.180
  29. ^ クレイトン(1999) p.168
  30. ^ ティルディスレイ(2008) p.176
  31. ^ ウィルキンソン(2015) p. 271
  32. ^ ウィルキンソン(2015) p.271、訳注
  33. ^ a b c d e f g Zahi Hawass. “King Tut is the Son of Akhenaton”. 2022年1月4日閲覧。
  34. ^ McAvoy, Shawn (2007). Mummy 61074: a strange case of mistaken identity. Pontificia Universidad Católica Argentina. Facultad de Ciencias Sociales. Departamento de Historia. Centro de Estudios de Historia del Antiguo Oriente. https://repositorio.uca.edu.ar/handle/123456789/11907 2024年4月18日閲覧。. 
  35. ^ Günther Roeder: Königssohn Tut-anchu-Aton. In: Rainer Hanke: Amarna-Reliefs aus Hermopolis (Ausgrabungen der Deutschen Hermopolis-Expedition in Hermopolis 1929–1939). Band 2, Gerstenberg, Hildesheim 1969, S. 40.(翻訳元参考文献表示なし)
  36. ^ Akhenaten and Nefertiti's Children”. Worldhistory.us (2019年9月20日). 2022年1月19日閲覧。
  37. ^ 河合 2021, pp. 186–187.
  38. ^ ハワス 2012, p. 76.
  39. ^ a b c d e f g 松本 (1994), pp. 172–173.
  40. ^ ハワス 2012, p. 123.
  41. ^ ハワス 2012, p. 150.
  42. ^ ハワス 2012, pp. 186–187.
  43. ^ 吉村 1983, p. 106.
  44. ^ a b 河合 2021, p. 190.
  45. ^ ショー,ニコルソン(1997) p.42
  46. ^ ショー,ニコルソン(1997) p.356
  47. ^ John Coleman Darnell; Colleen Manassa (3 August 2007). Tutankhamun's Armies: Battle and Conquest During Ancient Egypt's Late Eighteenth Dynasty. John Wiley & Sons. p. 49. ISBN 978-0-471-74358-3. https://books.google.com/books?id=7MvtJ2LbKgwC&pg=PA49 
  48. ^ Dodson 2009, pp. 66–68.
  49. ^ 近藤 1994, p. 394.
  50. ^ ティアドリッティ 2000b, p. 218.
  51. ^ 吉村 1983, p. 109.
  52. ^ Gary Greenberg (1999年4月23日). “[https://ggreenberg.tripod.com/articles/manetho18d/arce99-dyn18.pdf Manetho's Eighteenth Dynasty: Putting the Pieces Back Together]”. ARCE(American Research Center in Egypt). 2022年1月19日閲覧。
  53. ^ ハワス 2012, pp. 75–76.
  54. ^ Cavka, Mislav; Kelava, Tomislav (April 2013). “Comment on: Familial epilepsy in the pharaohs of ancient Egypt's eighteenth dynasty”. Epilepsy & Behavior 27 (1): 278. doi:10.1016/j.yebeh.2012.11.044. PMID 23291226. 
  55. ^ Pausch, Niels Christian; Naether, Franziska; Krey, Karl Friedrich (December 2015). “Tutankhamun's Dentition: The Pharaoh and his Teeth”. Brazilian Dental Journal 26 (6): 701–704. doi:10.1590/0103-6440201300431. PMID 26963220. https://www.researchgate.net/publication/289585304 2020年1月8日閲覧。. 
  56. ^ Ashrafian, Hutan (September 2012). “Familial epilepsy in the pharaohs of ancient Egypt's eighteenth dynasty”. Epilepsy & Behavior 25 (1): 23–31. doi:10.1016/j.yebeh.2012.06.014. PMID 22980077. 
  57. ^ Hawass et al. 2010, p. 642.
  58. ^ Hawass & Saleem 2016, p. 95.
  59. ^ Hussein, Kais; Matin, Ekatrina; Nerlich, Andreas G. (2013). “Paleopathology of the juvenile Pharaoh Tutankhamun—90th anniversary of discovery”. Virchows Archiv 463 (3): 475–479. doi:10.1007/s00428-013-1441-1. PMID 23812343. 
  60. ^ Hawass et al. 2010, pp. 642–645.
  61. ^ Hawass&Saleem 2016, p. 252.
  62. ^ Tutankhamun: Anatomy of an Excavation | The Griffith Institute”. www.griffith.ox.ac.uk. 2022年9月4日閲覧。
  63. ^ ツタンカーメン墓発見100年 手柄の少年 子孫「誇り」地元住民らと祝宴読売新聞』朝刊2022年11月4日(国際面)同日閲覧
  64. ^ a b カーター(1923) pp.170-171
  65. ^ カーター(1923) p.166
  66. ^ 蜘手美鶴 (2022年8月24日). “ツタンカーメン王の墓、発見から100年…きっかけは12歳少年とロバ”. 東京新聞. 2023年11月17日閲覧。
  67. ^ ティアドリッティ 2000a, p. 23.
  68. ^ 吉成 2012, p. 114.
  69. ^ 吉成 2012, pp. 214–215.
  70. ^ Gilbert, Holt & Hudson 1976, p. 18.
  71. ^ スペンサー 2009, p. 235.
  72. ^ カーター 1971, pp. 252–253.
  73. ^ ルカ (1978), pp. 132–133.
  74. ^ Harrison, R. G.; Abdalla, A. B. (March 1972). “The remains of Tutankhamun”. Antiquity 46 (181): 11. doi:10.1017/S0003598X00053072. 
  75. ^ a b Dennis Forbes Salima Ikram & Janice Kamrin. “Tutankhamun's Missing Ribs”. 2022年1月19日閲覧。
  76. ^ 河合 2012, pp. 222.
  77. ^ マーチャント (2014), pp. 219–227.
  78. ^ Forensic Experts Claim That King Tut Died In A Chariot Accident”. Forbes. 2019年9月2日閲覧。
  79. ^ Harer, W. Benson (2011). “New evidence for King Tutankhamen's death: his bizarre embalming”. The Journal of Egyptian Archaeology 97 (1): 228–233. doi:10.1177/030751331109700120. JSTOR 23269903. 
  80. ^ a b c d e マーチャント (2014), pp. 317–330.
  81. ^ Harrison, R. G.; Abdalla, A. B. (March 1972). “The remains of Tutankhamun”. Antiquity 46 (181): 9. doi:10.1017/S0003598X00053072. 
  82. ^ Timmann & Meyer 2010, p. 1279.
  83. ^ 河合 2012, pp. 223–224.
  84. ^ ハワス 2012, pp. 223–224.
  85. ^ 河合 2012, pp. 232–234.


「ツタンカーメン」の続きの解説一覧




固有名詞の分類

このページでは「ウィキペディア」からツタンカーメンを検索した結果を表示しています。
Weblioに収録されているすべての辞書からツタンカーメンを検索する場合は、下記のリンクをクリックしてください。
 全ての辞書からツタンカーメンを検索

英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「ツタンカーメン」の関連用語

ツタンカーメンのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



ツタンカーメンのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのツタンカーメン (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS