デュルビ・デュ・ローヌとは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > デュルビ・デュ・ローヌの意味・解説 

デュルビ・デュ・ローヌ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/10/20 04:56 UTC 版)

Jump to navigation Jump to search
デュルビ・デュ・ローヌ
ローヌ・ダービー
都市、地域 ローヌ=アルプ地域圏
初開催 1951年10月28日
チーム オリンピック・リヨン
ASサンテティエンヌ
最多勝利 ASサンテティエンヌ(39勝)
最多勝利 ASサンテティエンヌ(39勝)

デュルビ・デュ・ローヌフランス語 : Derby du Rhône, 英語 : Rhône Derby)は、フランスローヌ=アルプ地域圏に本拠地を置くサッカークラブ、オリンピック・リヨンASサンテティエンヌが対戦するローカル・ダービーのことである[1]

歴史

それぞれのクラブが本拠地を置くリヨン市とサンテティエンヌ市はともにローヌ=アルプ地域圏にあり、両都市は約50kmしか離れていない。リヨン市は裕福なホワイトカラー住民が多いとされ、それとは対照的に、サンテティエンヌ市はブルーカラーの労働者が多いとされる[1]。このこともあり、1951年に初対戦が行なわれて以来、強大なライバル意識が育まれていった[2]。他の主要なダービー同様に、ピッチ内外でライバル感情が激突し、このダービーはリーグ・アンのハイライトのひとつとされることも多い。このダービーは、「かつてのフランス最大のクラブ」(サンテティエンヌ)と「近年最も成功を収めているクラブ」(リヨン)の対戦でもある。20世紀において、サンテティエンヌはフランスで最も成功を収めたクラブであり、1957年から1981年の間にフランス最多の10回のリーグ優勝を果たしている。クープ・ドゥ・フランスでは6回優勝しており、欧州カップ戦でも好成績を収めたが[1]、1984年にディヴィジョン・ドゥ(2部、現リーグ・ドゥ)降格となり、フランスサッカー界における影響力が弱まっていった。一方のリヨンは21世紀に入ってから躍進を遂げたクラブであり、2001-02シーズンにディヴィジョン・アンで初優勝した。同シーズンからリーグ戦で7連覇を果たし、リーグの連覇記録を塗り替えた。UEFAチャンピオンズリーグでは2009-10シーズンにベスト4に進出するなど、9シーズン連続でベスト16以上の成績を残した。

統計

2012年12月9日時点
大会 試合数 サンテティエンヌ
勝利
引き分け リヨン勝利
リーグ・アン 96 36 29 31
クープ・ドゥ・フランス 5 1 1 3
クープ・ドゥ・ラ・リーグ 1 0 0 1
トロフェ・デ・シャンピオン 0 0 0 0
クープ・シャルル・ドラゴ 1 1 0 0
シャラジュ・デ・シャンピオン 1 1 0 0
通算 104 39 30 35

タイトル

大会 サン
テティエンヌ
リヨン
リーグ・アン 10 7
リーグ・ドゥ 3 3
クープ・ドゥ・フランス 6 5
クープ・ドゥ・ラ・リーグ 1 5
トロフェ・デ・シャンピオン 8 5
クープ・シャルル・ドラゴ 0 2
UEFAインタートトカップ 0 1
通算 24 32

禁断の移籍

リヨンとサンテティエンヌの両クラブでプレーしたことがある選手は30人に満たず、両クラブ間を直接移籍した選手は13人のみである。直接移籍した初の選手は、1951年にサンテティエンヌからリヨンに移籍したAntoine Rodriguezである。Rodriguezはサンテティエンヌで9年間プレーしてから移籍したが、リヨンでのプレーは1シーズンに終わった。直接移籍した著名選手にはエメ・ジャケなどがいる。ジャケはサンテティエンヌで13シーズンプレーし、その後リヨンで3シーズンプレーした。現役引退後にジャケはリヨンの監督となり、1972-73シーズンのクープ・ドゥ・フランスで決勝に進出した。ベルナール・ラコンブはリヨンのクラブ最多得点者のひとりとなり、1978年にサンテティエンヌに移籍。しかし、サンテティエンヌサポーターからのブーイングの対象となり、わずか1シーズンでFCジロンダン・ボルドーに去った。 直接移籍したそのほかの選手には、François Lemasson、Alain Moizan、Andre Calligaris、Romarin Billong、Jean-Luc Sassus、Christopher Deguerville、グレゴリー・クーペ、Franck Priou、ラミネ・ディアッタバフェティンビ・ゴミスがいる。

リヨンからサンテティエンヌ

リヨンからデビューし、サンテティエンヌ移籍後に100試合以上に出場したダヴィド・エルビュイック
名前 ポジション リヨン サンテティエンヌ
在籍期間 出場 得点 在籍期間 出場 得点
ベルナール・ラコンブ FW 1969–78 230 128 1978–79 32 14
Alain Moizan MF 1980–82 1982–84
Franck Priou MF 1980–88 1988–90
ローラン・フルニエ MF 1986–88 53 15 1995 10 3
Romarin Billong DF 1988–95 111 5 1995–2000 102 5
Patrice Ferri DF 1992–93 1995–96
Jean-Luc Sassus MF 1994–97 1997–98
ダヴィド・エルビュイック MF 1996–2000 3 0 2001–06 167 14
Laurent Morestin DF 1997–98 3 0 2003–04 24 0
パトリス・カルテロン DF 1997–2000 101 6 2001–05 100 16
ラミネ・ディアッタ DF 2004–06 40 0 2006–08 27 1
シルヴァン・モンソロー DF 2005–06 19 0 2008–2012 54 0

サンテティエンヌからリヨン

2009年にサンテティエンヌからリヨンに移籍したバフェティンビ・ゴミス
名前 ポジション サンテティエンヌ リヨン
在籍期間 出場 得点 在籍期間 出場 得点
Michel Cristobal DF 1945–49 1950–52
Antoine Rodriguez DF 1942–51 1951–52
Andre Calligaris DF 1957–60 1960–61
エメ・ジャケ MF 1960–73 176 12 1973–76 26 2
André Guy FW 1962–65 82 52 1967–71 116 66
José Broissart MF 1969–73 1976–80
Jean-François Larios MF 1973–83 167 36 1984–85 27 1
Olivier Roussey MF 1977–78 1979–80
Patrice Ferri GK 1981–88 1992–93
François Lemasson GK 1986–87 5 0 1987–90 101 0
Christopher Deguerville MF 1987–95 1995–97
グレゴリー・クーペ GK 1993–97 88 0 1997–2008 518 0
フレデリック・ピキオンヌ FW 2004–07 97 27 2008–09 26 4
バフェティンビ・ゴミス FW 2003–09 162 49 2009–2014 178 64
パパ・ディアカテ DF 2010 18 1 2010–2011 3 0

脚注

  1. ^ a b c “Power struggle on the Rhone”. FIFA.com. (2009年12月19日). オリジナル2009年8月3日時点によるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20090803153941/http://www.fifa.com/classicfootball/stories/classicderby/news/newsid%3D1008724.html 2010年8月3日閲覧。 
  2. ^ “OM-PSG D-2: The match that divides a nation”. LFP. (2009年10月23日). http://www.ligue1.com/ligue1/lireArticle.asp?idArticle=14341 2010年8月3日閲覧。  [リンク切れ]

外部リンク



このページでは「ウィキペディア」からデュルビ・デュ・ローヌを検索した結果を表示しています。
Weblioに収録されているすべての辞書からデュルビ・デュ・ローヌを検索する場合は、下記のリンクをクリックしてください。
 全ての辞書からデュルビ・デュ・ローヌ を検索

英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「デュルビ・デュ・ローヌ」の関連用語

デュルビ・デュ・ローヌのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



デュルビ・デュ・ローヌのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのデュルビ・デュ・ローヌ (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS