テムル側近
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/02 23:37 UTC 版)
「ナヤン・カダアンの乱」の記事における「テムル側近」の解説
テムルがどのタイミングからこの戦争に従軍したかは不明瞭であるが、『元史』巻135忽林失伝には「ナヤン討伐戦で体中に矢傷を負ったクルムシ(忽林失)をテムルが側近の者に命じて治療させた」との記述があり、「ナヤンの乱」時点ですでに叛乱鎮圧軍の軍中にあったことは確実である。前述したように、クビライが帰還した後にはテムルが代わって主将を務めたため、「カダアンの乱」前期においては遠征軍の中枢となった。 この時テムル直属の部下であった者にはオルジェイなど元チンキム・ケシクの出身者であった者が多数含まれており、後述するように彼らの多くがテムル即位後に高官として取り立てられている。
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